大判例

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広島高等裁判所 昭和58年(お)1号 決定 1987年5月01日

住所《省略》

請求人 山本久雄

弁護人 早川義彦

<ほか四三名>

右請求人に対する尊属殺人被告事件の確定判決に対し、同人から再審の請求があったので、当裁判所は請求人、弁護人、検察官の意見を聴き、次のとおり決定する。

主文

本件再審請求を棄却する。

理由

第一確定判決及びその証拠構造

一  請求人は、昭和五年一月二四日、広島地方裁判所において、尊属殺人被告事件により無期懲役の有罪判決言渡しを受け、控訴の申立をしたところ、同年一二月二六日広島控訴院において同じく無期懲役の有罪判決言渡しを受け、上告の申立をしたが、昭和六年四月八日、大審院において上告棄却の判決がなされ、右第二審判決が確定した(以下、第二審判決を確定判決という)。

二  確定判決において認定された犯罪事実は次のとおりである。

被告人久雄ハ大正四年十月十二日廣島縣比婆郡下高野山村大字奥門田戸主山本喜久太郎ノ養子山本嘉多太郎及び同人妻フサノ(當五十七年)ノ養子ト爲リ山本家ニ同居シ居リタルトコロ其後嘉多太郎死亡シ次テ昭和三年六月二十五日喜久太郎死亡スルニ及ヒ其家督ヲ相續シタルモ一家金錢出納ハ主トシテフサノニ於テ之ヲ司リ且ツ家督相續ニ依リ當然被告人ノ所有ニ歸シタル約四十通ノ貸金證書モ亦フサノ自ラ保管シテ容易ニ之ヲ被告人久雄ニ引渡ス模様ナカリシ折柄偶被告人久雄ハ昭和三年十一月二十三日同村大字中門田舛原雅量ヨリ貸金ノ元利辨濟ヲ受ケナカラフサノ不在ノ爲借用證書ヲ返戻シ得サリシトコロヨリ翌二十四日正午頃被告人久雄肩書居宅ニ於テ晝食ノ際フサノニ對シ前記證書ヲ返戻シ得サリシ事情ヲ告ケ今後外出ノ際ハ自分ニ貸金證書ヲ預ケ置カレ度ク尚一應貸金整理ノ必要アルニ付證書類ヲ引渡サレ度キ旨要求シタルトコロフサノニ於テ之ヲ承諾セス晝食後被告人久雄ハ茅刈ニ赴カント一旦自宅ヲ出テシモフサノヨリ柿ノ木ニ梯子ヲ掛ケ置クヘキコトヲ命セラレタルヲ忘レタルニ心付キ自宅ニ引返シタルカ右貸金證書ノ保管ニ關シ再ヒフサノトノ間ニ口論ヲ生シ被告人久雄ハ憤怒ノ餘臺所圍爐裡ノ傍ニ於テ手ニテフサノノ頸部ヲ突キタルトコロ同人カ仰向ケニ倒レタルヲ以テ後難ヲ恐レ寧ロ之ヲ殺害スルニ如カスト爲シ直ニ右手栂指ト其他ノ指トニテフサノノ頸部ヲ絞扼シ窒息セシメテ以テ殺害シタルモノナリ

三  確定判決は、左の証拠を総合して犯罪事実を認定したとし、各証拠の内容を記載している。

1  請求人の当公廷における供述

2  原審第一回公判調書中の請求人の供述記載

3  請求人の第一回豫審調書中の供述記載

4  原審第二回、第三回公判調書中の証人山本トヨコの各供述記載

5  原審第一回公判調書中の証人荒木丈四郎の供述記載

6  同公判調書中の証人井上亭一の供述記載

7  証人栗本彌の豫審調書中の供述記載

8  証人下奥カツノの豫審調書中の供述記載

9  請求人の検事訊問調書中の供述記載

10  鑑定人香川卓二作成の鑑定書の記載

四  ところで、右確定事件記録の所在は不明であり(広島地方検察庁総務部長検事作成の所在調査書に対する回答によると昭和二〇年八月六日の戦災により焼失したと思われる。)、疎開していた一審判決原本、二審及び上告審の各判決謄本が残存しているのみである(他に香川鑑定書の控が提出されているが、これについては後述する。)。従って確定判決の各証拠については、その内容を直接知ることができず、判決書に記載された証拠についてのみ、しかも記載された限度で(それは犯罪事実の認定の用に供した部分限りの要旨と思われる。)知り得るにすぎず、その他の証拠特に反対証拠の有無及びその内容は知る由もない。このような状況であって、資料は十分ではないが、前記1ないし10の各証拠の要旨を検討し、これに一審及び上告審の各判決書の証拠説示をも参酌して確定判決の証拠構造を推論することとする。もとより判決書の証拠説示は全ての証拠を、その内容の全てを網羅するものでなく、また確定判決には心証形成の過程が判示されていないから、判決書のみによる推論にはやや困難を伴なうといえるが、確定判決は右に摘示した各証拠を総合して認定しており、一審判決の摘示する証拠を全て含んでいるから、犯罪事実の認定に必要である主要な証拠の多くは記載されていると推認することができる。

そこで右各証拠を検討する。

1の証拠の要旨は、請求人は昭和三年六月二五日喜久太郎の死亡で家督相続により戸主となった、フサノは温和な人で他から恨みを受けるようなことはないと思う、同年一一月二三日舛原雅量が期限前に貸金を返しに来たが証書をフサノが保管しているため返せなかった、翌二四日昼食時にフサノにそのことを話した、フサノから柿の木に梯子をかけておいてくれと言われ、その後自分は山に茅を刈りに行くつもりで家を出たが途中で梯子のことを思い出して取りに自宅に帰った

2の要旨は、請求人は大正四年一〇月二日山本喜久太郎の養子山本嘉多太郎・フサノ夫妻の養子となり、嘉多太郎が死亡し、昭和三年六月二五日喜久太郎の死亡により家督を相続したが、フサノが金銭の出納を主として司り、かつ約四〇通の貸金証書、預金証書を管理しており、同年一一月二三日舛原雅量より貸金の返済を受けたがフサノ不在のため借用証書を返せなかった、フサノ死亡後同人の箪笥の小抽斗に貸金証書があった

3の要旨は、判示二四日自分はフサノに対し同人の所持している四〇通の借用証書を整理したいから貸してくれるように言ったらフサノはそんなことを言って貸金証書を取り上げるつもりだろうと怒っている模様であった、昼食後、自分は茅刈に赴こうとトヨコと共に家を出たが、フサノから柿の木に梯子をかけておくことを頼まれていたのを忘れていたのに気づきトヨコと別れて自宅に引返したが、証書の保管のことにつき再びフサノとの間で口論となり、自分は憤りの余り台所囲炉裡の傍でフサノの頸部を突いたところ同人が仰向けに倒れたので、このままフサノが起き返ったら大騒ぎとなると恐れ、むしろ同人の息を止めて殺害しようと決意し、西の方を頭にし左を上にして倒れている同人の後方より自分は右手栂指とその他の指とをもって同人の頸部を力一杯五分間くらい押し付け、動かぬようになったので息の根が止ったと思って死体を台所の走り場に抱えて行き、その頭部を走り場の水桶の中に差入れて置き、あたかもフサノが走り段より段下の水桶に転倒し死亡したものの如くにしておいた

4の要旨は、昼食後フサノは家に残り、請求人は山に茅刈りに、自分は畑に菜を採りに行くため一緒に家を出たが、請求人は昼食時にフサノから柿の木に梯子をかけてくれと言われていたのを途中で思い出し取りに返った、自分が畑から返ってみるとフサノは炊事場の飯櫃に頭を突込んでおり声をかけても返事がなく死んでいることを知って請求人を呼びに行き、請求人はすぐ帰った、その日の昼ころ請求人がフサノに舛原が返しに来たが証書がないため返すことができず今度他所へ出る時には証書を出しておかれたいと言ったら、フサノは受取りさえやっておけば証書は後で返すと言い、請求人はいつ帰られるかわからないと言っていた、またフサノの死体を解剖した日の夕方請求人は私に白状するなと言った、そしてフサノが死亡したとき誰か外から入り金品をとったような疑いはなかったしフサノに情夫があるとは思わない、借用証書はフサノの箪笥の鍵のかかった小抽斗に入っていた

5の要旨は、喜久太郎の四九日の法事のときフサノが証書を請求人に渡せないと言い、自分らは請求人に渡せと言ったが、結局フサノが保管することになった

6の要旨は、派出所勤務である私に請求人が爺の死亡後家庭が悪く、後取りの自分に任せてくれず証書も自分にくれず親類が後押して取ろうと思うのだろう等と申告していたので、請求人の家庭が乱れていると思っていた

7の要旨は、フサノは温和な人で口論するようなことはなく、請求人は喜久太郎の死後戸主となったが、フサノとの折合いがよくなく、フサノが証書類を全て保管していた

8の要旨は、フサノの死体解剖の日、請求人がトヨコに「何じゃかんじゃと言うな」「いらぬことを言うな」とか言っているのを耳にした

9の要旨は、フサノは自分に先刻証書をくれと言うたが、お前にやる必要はない、俺を罔して取上げるつもりだろうと言われたので、自分はそうではない整理のためだと言ったが、同人はそんなことは嘘だと怒った、自分は左手でフサノの頸部を押したらフサノは仰向けに囲炉裡の側に倒れ身体がぐったりと変な風になったので、自分はこのままフサノが起き返ったら大騒ぎになることをおそれ、いっそのこと息を止めて知らぬ振りをした方がいいと悪い考えを起こし、右手の栂指とその余の指とで頸部を堅く力一杯五分間押付け、息の根の止まるを見て死体の両脇下に両手を差入れ抱えて走り段の所に行き段下の水桶に頭を入れ俯伏せにのめった体に装って山に茅刈に行った

10の要旨は、屍体には顎部頤部頸部肩胛骨部大腿部等において各二個以上の擦過傷ある外、舌骨の不完全骨傷及び甲状軟骨の脱きゅうを生じており、死因は前頸部から襲来した暴力により惹起された窒息によるもの即ち扼死であって他殺である、そして胃嚢内には咀嚼せるままの約千瓦余の米飯及び数片の京菜を容す

右の各証拠の内容に照らすと、フサノ殺害という本件犯行を請求人は第一審以来公判廷において否認しており(これは第一審及び上告審の各判決書謄本からも認められる。)、本件犯行につき目撃者や証拠物などの客観的証拠はなく、請求人を本件犯行と直接結びつける証拠としては僅かに右3と9、即ち請求人の第一回豫審調書及び検事訊問調書における請求人が本件犯行を自認した旨の供述記載があるのみである(以下、右の犯行を自認した各供述を併せて請求人の自白という)。そして、フサノ殺害という犯行自体の自白を裏付けるものとしてはフサノの死因が前頸部に襲来した暴力により惹起された窒息による扼死である旨の香川鑑定書があり、動機あるいは経緯を推測させるものとして、請求人の当日の行動、請求人とフサノとの財産をめぐる関係、フサノの言動並びに事後の請求人の言動等についてのその余の各証拠がある。

以上のとおり確定判決の証拠の構造は、請求人の自白とフサノの死因について自白を裏付けている香川鑑定書を有罪認定の主たる証拠としているとみられる(この点は、上告審判決が、請求人の自白のある前記3、9の各調書の記載は信用できないとの上告趣意に対し、右各調書及び香川鑑定書によれば請求人が殺意をもって右手拇指とその他の指とでフサノの頸部を絞扼し窒息死せしめた事実を認定できる旨判示していることからも裏付けられるといえる。)。従って香川鑑定書の信用性に疑いが生ずれば自白の信用性にも疑いが生ずる関係にあると言うことができる。もっとも、確定判決は一審判決に記載のない前記5ないし8の各証拠を摘示しているから、フサノと請求人との証書の保管等をめぐる関係、請求人の事件後の言動等をも相当に重視したと推認されるが、請求人の犯行についての自白の信用性を担保する証拠として香川鑑定書ほどの重要性を有しているとは認められない。

第二本件再審請求

一  請求の趣意

請求人は、昭和五八年九月九日広島高等裁判所受付の再審請求書をもって、同裁判所に再審の請求をしたが、その趣意は弁護士早川義彦ら作成の再審請求書、同弁護人ら作成の意見書(昭和五九年二月九日付)、弁護人原田香留夫ら作成の第二意見書(同年七月二三日付)、弁護人藤堂眞二作成の各意見書(同年一二月四日付、昭和六一年四月九日付、同年七月一〇日付)、弁護人髙橋文惠作成の意見書(昭和五九年一二月四日付、昭和六一年五月二〇日付)、弁護人早川義彦ら作成の最終意見書(昭和五九年一二月四日付)、弁護人原田香留夫ら作成の意見書(昭和六一年五月二〇日付)、弁護人佐藤博史作成の意見書(同年七月二一日付)、弁護人藤堂眞二ら作成の各意見書(同日付、昭和六二年三月二〇日付)、弁護人椎木緑司ら作成の意見書(同日付)、請求人作成の各意見書(昭和六一年七月八日付、昭和六二年三月一〇日付)のとおりであるからこれらを引用する。その要旨は、請求人は前記のとおり有罪の確定判決を受けたが、フサノを殺害したことはなく全くの冤罪であるから再審の開始を求めるというのであり、その理由として主張するところは、旧刑事訴訟法(大正一一年法律第一一号。以下、旧刑訴法という)四八五状六号所定の「無罪ヲ言渡スヘキ明確ナル証拠ヲ新ニ発見シタル」ことを主張しているものと解される。

二  新証拠

確定判決の主たる証拠は請求人の第一回豫審調書、検事訊問調書における請求人の自白と香川鑑定書であるとして、請求人が提出した主たる新証拠と要証事実は次のとおりである。

1  フサノの死因が扼殺とは認められないから香川鑑定書(ひいては請求人の自白)が信用できないことを立証する新証拠として(一)内藤道興作成の鑑定書(昭和五八年八月二九日付、昭和六一年六月二〇日付)、意見書(昭和五九年二月一〇日付、同年七月二〇日付、同年九月二五日付、昭和六〇年三月一五日付)、図面二枚(昭和五九年二月一〇日付)、(二)小林宏志作成の鑑定書(昭和五八年一〇月二四日付、昭和六一年六月二五日付)、意見書(昭和六〇年三月一八日付)、(三)小片重男作成の鑑定書(昭和六〇年二月一五日付、昭和六一年六月二八日付)、意見書(昭和六〇年三月一一日付、昭和六一年六月三〇日付)

2  請求人居宅の表入口は開放されていたところ、フサノが倒れていた炊事場の位置は数メートル離れた県道から丸見えであって、殺害後にわざわざ死体を同所に運んだというのは不自然であり、犯行を否定する情況であること等を立証する新証拠として弁護人藤堂眞二作成の検証調書二通(弁一二、四二号)、検証ビデオテープ(弁一一四号)

3  フサノが殺害された当日の午後二時半過ぎころ生存しているのを目撃した者がいることを立証する新証拠として、請求人作成の「証拠人発見の理由」と題する書面写(弁二八号)

4  フサノと請求人の間に殺害の動機とされている貸金証書類の引渡等について争いがあったというのは虚構であることを立証する新証拠として、山本喜久太郎の遺言書等の写真一一葉(弁第二一ないし第二六号)

5  請求人は豫審以来五五年以上にわたって無実を訴え続けており、それは妄想、偏執等に基づくものではないことを立証する新証拠として、久保摂二作成の精神鑑定書(弁四号)

三  検察官の意見、立証

本件再審請求に対する検察官の意見は検察官石井利男、同原清作成の各意見書のとおりであって、弁護人提出の証拠は新規性も明白性もないから本件再審請求の棄却を求めるというのであり、香川鑑定書控を信用できるとする三上芳雄、松倉豊治、石山昱夫作成の各鑑定書、意見書(謄本を含む)等を提出した。

第三事実調べ

当裁判所は、請求人の請求により弁一ないし一二一号、検察官の請求により検一ないし七四号の二を取調べ(具体的には別紙証拠目録のとおり)、証人として内藤道興、三上芳雄、小林宏志、松倉豊治、石山昱夫、小片重男を尋問し、請求人を二度尋問した。

第四当裁判所の判断

一  香川鑑定書をめぐる問題について

確定判決の証拠構造が、前記のとおり、請求人と犯行を結びつけるものとしては請求人の第一回豫審調書及び検事訊問調書における自白のみであり、これを裏付ける客観的資料がフサノの死因を扼死とする香川鑑定書であることとの関連において、請求人の再審請求の主たる主張が香川鑑定書の信用性の有無に向けられていることは、フサノの死因が扼死とは認め難く、香川鑑定書が信用できない旨の法医学者三名(内藤道興、小林宏志、小片重男)の作成にかかる各鑑定書等を新証拠として提出していること等に照らし明らかであり、これに対し検察官は反証としてフサノの死因が扼死と認められるとする法医学者三名(三上芳雄、松倉豊治、石山昱夫)の作成にかかる鑑定書等を提出して争っているのであり、これが主たる争点となっているものである。そこで香川鑑定書の信用性を検討することになるが、本件においては裁判記録がないためにその資料が問題となる。

1  香川鑑定書控について

本件について裁判記録が焼失したと思料されることは前記のとおりであり、本件再審請求事件において現存する資料として提出されているのは香川鑑定書の控である。ところで、香川國吉の検察官に対する供述調書謄本及び取り寄せにかかる「鑑定書検案書」第二号、鑑定書附図第二号によると、(一)香川卓二は作成した鑑定書の控を製本しており(それは百数十冊になっている)、それが鑑定書に関連する写真を編綴した「鑑定書附図」とともに広島高等裁判所に寄贈され、同裁判所資料課に保管されていたものであるが、本件の山本フサノにつての鑑定書の控は「鑑定書検案書」第二号の三五八丁以下に編綴されていること、(二)香川卓二は鑑定書の原本のついては実弟に毛筆で浄書させており、右の鑑定書控は下書きを印刷屋にタイプさせたうえ製本したものであること、(三)山本フサノについての鑑定書の控には手書きで署名、活字のない部分の漢字の記入、誤字の訂正がなされているところ、手書きの部分は香川卓二の筆跡であることが認められる。加えて本件鑑定書控の記載と確定判決に記載されている香川鑑定書の要旨が合致するとみられることを併せ考慮すると、本件に提出されている香川鑑定書控は裁判記録にあって確定判決が証拠として引用している香川鑑定書と同一内容をもつ控であると推認できるというべきである。そして、記録のない本件においては香川鑑定書控に基づいて香川鑑定書の検討を進めることが許されると解するのが相当である。

2  写真について

検察官はフサノの死体写真であるとして写真七葉(検八号、四五号の一ないし六。尚、証拠中に検四五から五〇と表示された写真は四五の一ないし六のことである。また検五六、五七号はこれらの拡大写真である。)を提出しているところ、それらがフサノの写真であれば香川鑑定書の信用性を判断する資料となり得るので、その点について検討する。前記の香川國吉の供述調書謄本、取り寄せにかかる鑑定書検案書、鑑定書附図によると、香川卓二は鑑定をする際には死体を写真撮影しており、鑑定書の控を製本するとともにこれらの写真を編綴して鑑定書附図を作成しており、これも広島高等裁判所資料課において保管されていたこと、検第四五号の一ないし六の各写真は「鑑定書附図」第二号の四八、四九、五一ないし五四丁に貼付された写真であるが、右附図第二号には目次があって一五番目に山本フサノの屍(山本久雄殺人被疑事件)との記載があり(但しそれがどの写真であるかを示す記載はない。)、同附図の写真と鑑定書控の編綴の順序はほぼ同一とみられるところ、その前後の写真及び鑑定書控との対比(例えば鑑定書控の本件控の二つ前及び二つ後のものには写真各一葉が添付されていて附図の写真との同一性が明らかである等)からみて、右各写真がフサノのものとみられること、検第八号の写真は香川國吉が検察官に任意提出したものであるが、右フサノとみられる写真と同一人のものとみられること、加えて後記するとおり香川鑑定書控の記載とこれらの写真にみられる損傷の部位、形状が殆ど一致することに照らすと、検察官提出の各写真はいずれもフサノの死体写真であると推認できるというべきである。そして、右のような写真が裁判記録に含まれていたか否かは明らかでないが、他に資料がなく香川鑑定書の信用性が争われる本件においては香川鑑定書控とともに判断の資料として扱ってよいものと解するのが相当である。

3  香川鑑定書控の内容

右は第一外表検査、第二内景検査、第三鑑定という構成となっているが、その主要な所見は次のとおりである。

(一) 外表検査

(1) 体格栄養ともに中等度、著しく厥冷し皮膚の色尋常にして生体のそれを見る如し。死体硬直は下顎関節を始め次余の関節に軽度に残存するのみにして緩解半ばなり。屍斑は仰臥せる屍の後面の部分に淡き紅色の斑紋として散見せらるるも特に著名ならず。

(2) 顔面相は安眠するが如く何ら苦悶の相を認めないが舌先が僅かに上下歯列の間にかん入している。眼瞼の結膜は概して蒼白色を呈しているが、穹窿部は著名な無数の溢血点を現わす。鼻腔内に異物を認めないが、巻綿子で拭除すると赤色を帯びた粘液様物を容す。

顔面に左の損傷がある。

(イ) 左口角の直下二センチメートル部より左外方に向って横径に〇・五センチメートルの擦過傷(甲傷とする)

(ロ) 外頤結節の左外方一・五センチメートルの部より左外方に向って一センチメートルの擦過傷(乙傷とする)

(ハ) 左口角の左外上方約二センチメートルに上下に並列したその間隔〇・五センチメートル余の点状の二個の擦過傷(丙傷とする)

(ニ) 下顎隅部に直径一センチメートルの類円形をした皮膚剥脱あり、この前下方二センチメートル、下顎骨下縁に沿って三センチメートルの部に直径〇・三センチメートルの皮膚剥脱あり(丁傷とする)

以上の甲、乙、丙、丁傷は同様の創傷の性質を現わし、外観は帯紫、赤黒色を呈し創傷の処々に血痂を附着する。これを指触診すると硬度は周擁より僅かに硬く、水洗又は湿潤した布片で拭撤しても清拭できず、深さ真皮に波及し明らかに乳嘴に出血を認める。

(3) 頸部皮膚ことに前頸部は汚穢色を帯び、硬度尋常、甲状軟骨舌骨体やや移動し易く何等かの異常あるを窺わしむ。

頸部皮膚に左の損傷がある。

(イ) 右側頸部下顎隅の下方、胸鎖乳様筋の上三分の一の下部アダム氏果の中央より各々四センチメートル、五センチメートルの部に横径に併列せる相互の間隔〇・二センチメートルの点状の擦過傷あり、その前方に位せるものは頸静脈の走行部に相当せり(戊傷とする)

(ロ) 右側頸部、胸鎖乳様筋の略々中央に相当せる頸静脈の走行上に長さ上下に二・五センチメートル、幅員〇・二センチメートルの不正長方形状の擦過傷、怒張して波動を呈する頸静脈上に位し極めて著明である。その前方〇・五センチメートルの部に点状の一擦過傷と覚ぼしき損傷がある(己傷とする)

(ハ) 前頸部アダム氏果の直下部に横径に走行せるが如き状態を窺い得る点状の擦過傷(庚傷とする)

(ニ) 左顎下部、舌骨の外上方に点状の擦過傷(辛傷とする)

(ホ) 舌骨の左外方、アダム氏果の左外上方、即ち胸鎖乳様筋の上三分の一の部に、体軸に直角なものと垂直なものと二傷の相交叉せるものあり、長さは垂直なものが一・五センチメートル、直角なものが一・二センチメートル、幅員は何れも〇・二五センチメートル(壬傷とする)

(ヘ) 前者を去る二・〇センチメートルの直下部に胸鎖乳様筋の下方の筋腹上に横径に走れる長さ一・〇センチメートル、幅員〇・二センチメートル余の不正長方形を呈する擦過傷(癸傷とする)

(ト) 左鎖骨上窩の前後に併列した小なる点状の擦過傷、胸鎖乳様筋の下方の外側で極めて軽傷(伊傷とする)

以上の戊、己、庚、辛、壬、癸、伊傷は、何れも同様の性質を現わし、色帯紫赤黒色を呈し、乾燥して処々血痂様物を附着する。指々触診すると、硬度は周擁皮膚より僅かに硬く、水洗、拭撤によって清潔ならしめ能わず、細検するに明らかに乳嘴の出血を認める。

その他前側頸部の外表に徴すべき所見を認めない。

項部に異常の所見なし。

(4) 前側胸部に損傷異常なし。

(5) 腹部は中等度に膨満し打拍するに鼓性濁音を放つ、腹壁の皮膚に異常なく、按圧するに異常の硬結物を触れず。

(6) 背部は一般に紫赤色を呈し(死後血液沈墜)処々に針頭大の紫黒色の斑点を現わす(屍斑)

右肩胛骨部に二傷あり。両者共に背部中央より外上方に向う方向を有す、即ち肩胛棘の外端の肩峰突起の部に相当し、長さ何れも一・〇センチメートル、幅員〇・三センチメートル、各々の間隔一・〇センチメートル(保傷とする)

損傷の性状は前頸部の者に等しく、拭撤しても清潔にできない。その他に損傷異常を認めず。

(7) 右上膊の前面に肘関節より五センチメートルの部に示指頭圧大の類円形の紫黒色を呈する部あり、触るるに稍浸潤あるを認む。

右前膊の前下方、腕関節を去る上方各々三センチメートル、五センチメートルの部に中心を有する五厘銭大の類円形の紫黒色を呈する部あり、切割するに皮下溢血ないし組織間出血の存するを認む。

(8) 右下肢に左の損傷あり。

(イ) 右大腿骨下端の外上部に、深さ真皮に波及する点状の血痂を蒙れる紫黒色を呈する擦過傷(呂傷とする)

(ロ) 右下腿骨の上端、頸骨々頭部の外側部、即ち頸骨結節の外側部に前後に水平に併列せる三個の擦過傷、この下方五センチメートルの部に一個の擦過傷(波傷とする)

その性状、大腿のものと同様で紫黒色を呈する。

(9) 肛門は多開して黄色の直腸内容を漏出せり。

(二) 内景検査

(10) 頭皮、頭骨に損傷異常を認めず。頭骨を鋸断するにその際頭腔内より稍多量の流動血を流出す、硬脳膜と頭骨は比較的強度に癒着す、その間に何等の異常を認めず。硬軟脳膜間に癒着なく縦隔竇内空虚なり、軟脳膜の血管に中等量の流動血を容す。底面の軟脳膜も又穹窿部に等しく基礎動脈及びジルビー氏溝動脈、淡汚赤色に染し、中に暗赤色の流動血を容す。軟脳膜透明にして剥離容易なり。左右側室及び第三脳室、第四脳室内に異常の内容なし。大脳半球、神経節、小脳等稍軟かく、手掌上に支ふるに、その原形を保持するに稍難たし、ワロー氏橋、延髄の断面に徴すべき所見なし。横竇内には少許の透紅液を存す、頭蓋底に骨傷なし。

(11) 腹腔を開検するに、内部に黄色の透明液少許を存し、上方に褐紫黄色の肝臓を、その下に淡黄色の腸管を見る、大網の脂肪の発育尋常、腸管の漿膜面に存する細血管、充盈し、処々に蚤刺様溢血点を見る。腹膜滑澤、腹腔臓器の位置尋常、横隔膜の高さ、左右共に第四肋間に位せり。

(12) 頸部皮下静脈著しく怒帳し、多量の流動血を容す。前記戊、己、庚、辛、壬、癸、伊の各傷の皮下組織は周擁に比して殆ど悉く淡紅色を帯ぶ、就中、己傷、壬傷の皮下には小豆大の出血を存するを認む。甲状腺の太さ位置尋常なれど、その表面には稍著明な小豆大ないし蚤刺様の出血点を有す。甲状軟骨は左側は右側に比して移動し易く、舌骨体と右角との間に不全骨傷あるを認む。頸筋に破裂、出血なし、右頸静脈の外膜下には点状の出血竈数個を認む(己傷に一致す)

咽頭部には気管と同様の粘液様物少許を容す、粘膜一般に暗紫色を帯ぶ、食道内空虚粘膜蒼白色を呈す。咽頭上口附近の粘膜下には、蚤刺大ないし粟粒大の溢血点散在す。喉頭、気管内の粘膜は一般に淡紅色を呈す。

(13) 胸腔を開検するに左肺の前縁は僅かに、右肺の前縁は充分に露出す。右肋膜に癒着なく、腔内に異常の液体なし。左肋膜は全部繊維様癒着を営み、剥離するに稍困難を感ぜしむ、胸腺の残存せるを認めず。

(14) 心嚢内には腹腔と同様液一〇グラムを容す、心臓の室壁左右両室共に軟、表面滑沢にして混濁なく、血管内は血量に富む。冠状脈管の走行せる附近には処々に蚤刺様溢血点を現わす。心臓の太さ、本屍手拳大に相当す。左右両室、両房共に多量の暗赤色の流動性の血液を容す。左右心、内膜滑澤、筋肉の厚さ尋常、筋色正常、辨膜に硬変なく、肉柱、腱索に異変なし。

(15) 左肺表面滑澤、紫赤色を呈す、肋膜滑澤にして透明かつ湿潤す、指圧を加うるに硬結なく断面は表面に比し、稍赤色を帯び、異臭なし。血管の断端よりは暗赤色の流動血、気管枝の断端よりは泡沫を交えたる汚汁を出だす。右肺の表面は多量の繊維素を附着し乳白色に混濁し、かつ紫赤色を呈す、その性状左肺に同じ。胸腔内面の体壁肋膜、肋間の軟部組織、肋器に徴すべき所見を認めず。

(16) 脾臓の大さ一四―八、〇―一・四センチメートル、表面の色汚穢紫褐、被膜稍緊張し、触るるに泥様の漢あり、断面汚穢淡紫褐色を帯び、マルピギー氏小体不著明なり。

(17) 左腎、被膜剥離し易く、大さ一一―六、五―三、一センチメートル、硬さ尋常、表面淡赤色にして断面著しく血量に富み暗紫赤色を呈し皮質、髄質の区別明瞭なり。右腎、大さ一一―五、六―三センチメートル、表面断面その他の性状左腎に同じ。

(18) 肝臓は大さ、性状常の如く、特記すべき所見を認めず。

(19) 膵臓は大さ、色その他の性状常の如く損傷異常なし。

(20) 胆嚢は充盈して梨子状をなし、輸胆管通ず、粘膜の性状常の如し。

(21) 胃は著しく太く、長さ二五センチメートル、幅員一二センチメートル、嚢内には約一〇〇〇グラム余の米飯及び京菜の数片の口腔消化(咀嚼せる侭)のみ蒙れるものと粘液様物とを容す。粘膜の色、性状常の如く、異変を認めず。

(22) 小腸内には汚穢淡黄色の混濁せる粘調液少許を容す。管壁一般に淡紅色にして混濁せり、大腸は上部に汚穢黄緑色の軟便を有し下部には稍硬結なる糞塊を存す、粘膜の性状常の如し。

(23) 膀胱内には三〇〇グラム余の混濁せる尿を容る、粘膜の性状常の如しといえども、少許の溢血点の散在するを認める。

(三) 鑑定

(1) 本屍には左の損傷あり

(イ) 右下顎隅の三個の擦過傷(丁傷)

(ロ) 頤部(右側方)の二個の擦過傷(甲、乙傷)

(ハ) 左頬部の点状の二擦過傷(丙傷)

(ニ) 右側頸部の三擦過傷(戊、己傷)

(ホ) 左頸部の四擦過傷(辛、壬、癸、伊傷)

(ヘ) 前頸部正中気管部擦過傷(庚傷)

(ト) 右肩胛部の二擦過傷(保傷)

(チ) 右大腿下部の擦過傷

(リ) 右下腿上部の擦過傷

(ヌ) 舌骨の不全骨傷及び甲状軟骨の脱臼

(ル) 右上膊及び前膊の皮下溢血

これらの損傷の形状、深浅、大小及び性状は各項に記載せるが如し。

(2) 本屍に存する損傷を生ぜしめたる兇器は何れも鈍器なり。而してその使用方法は、前頸部アダム氏果の附近に於ては、前方より後方に向いて(頸部皮膚面より咽頭後壁に向いて)作用せるものなれども、次余の損傷に対しては祥かならず。

(3) 本屍の死因は前頸部より襲来せる暴力によりて惹起せし窒息にして(扼死)その方法は他為に因る(他殺)ものなり。

(4) 本屍は死後、解剖終了時迄、約五十五時間余を経過せり。

二  証拠の新規性

弁護士は、香川鑑定書の信用性を否定するものとして内藤道興、小林宏志、小片重男作成の各鑑定書、意見書を提出したが、これらはいずれも判決の確定後に香川鑑定書控の内容を検討し法医学の立場から香川鑑定書の信用性について鑑定あるいは意見を述べたものであるところ、鑑定の方法を異にし証拠方法としての意義内容が異なるものであるから、いずれも再審事由である「あらたな証拠」と言うことができる。

三  鑑定書等の内容

1  内藤鑑定(鑑定書、意見書、証言を含む)の要旨は次のとおりである。

(一) 扼死(扼頸による窒息死)は手指ないし腕をもって頸部を扼圧して気道を閉塞するもので暴力的な圧迫を必要とするから、頸部及びこれに相当する内部に損傷を生ずるところ、香川鑑定書控によって認められるフサノの頸部にある戊ないし伊傷はいずれも軽微な擦過傷であり、その内容には筋肉内の出血もないから、成人男子が殺意をもって頸部を強く扼圧した際に生ずる扼痕としては極めて貧弱である。また、フサノのような高令者では甲状軟骨、舌骨は扼頸時に損傷されやすいが、生前に損傷すれば周囲の軟部組織に必ず出血を見るものであるのに、香川鑑定書控にはその記載がないから、舌骨の不全骨傷、甲状軟骨の脱臼との記載は生理的可能性を誤認したものと推認される。

(二) 窒息死に共通してみられる外表所見である眼瞼眼球結膜、口唇口腔粘膜、顔面皮膚等の溢血点は扼死の場合には絞殺より著名なことが多く、顔面のうっ血、チアノーゼも高度であるところ、フサノの死体には眼瞼結膜の穹窿部に無数の溢血点があると記載されているのみであり、この程度の溢血点の発生は窒息死以外の急死死体においてもみられるもので、扼死の所見としては極めて乏しいと言える。(特に本屍が飯櫃に頭を突込み上半身が倒立に近い形で殺害の四時間余り後に発見されたとすれば、頭部を極端な低位に長時間置かれたことに基づく顔面皮膚、眼結膜等のうっ血、チアノーゼ、溢血点は極めて顕著な所見として残っている筈である。一度血管外に出た血液は仰向けに長時間静置されても褪色することはない。)

右の外表所見に対応すべき頭皮下のうっ血、溢血点、骨膜下出血、側頭筋肉出血等の存在した記録はなく、当然存在すべき血管内の著しい充盈はなかったとみられ、漿膜面の溢血点、暗赤色流動生血液の存在した記録はあるが、これらは一般の急死死体(急性心臓死など)にしばしば認められるものである。

(三) 糞尿特に尿失禁は窒息死に際し極めて高率に認められる所見であるが、本屍の残尿量三〇〇グラム余は扼死との結論に相反するものである。

(四) 以上のとおり、香川鑑定書控の記載と確定判決で認定された請求人の犯行方法とを総合して考察すると、フサノの死因を扼殺とすべき根拠は極めて乏しく、発見時の本屍の姿勢を考慮すると殆ど否定的と考えられる。

(五) 更に犯行現場の状況を現場法医学的に考察すると、扼殺死体を運び飯櫃に逆さに突込んで事故を偽装したというような作為的なところがなく、何らかの病的素因(香川鑑定書控の記録の不備により確定し得ないが、肝臓の障害から脳浮腫を来たした疑い、年令から来る動脈硬化、心臓疾患の疑い等が考えられる)。によって失神転倒し偶々飯櫃にはまり込んだとみる方がより自然である。

(六) 尚、後記の石山鑑定は、写真を分析して損傷の性状等を判断し香川鑑定書控の信用性を検討するとしているが、カメラの性能、採光、感光材料、適正露光、撮影後のプリント作成までの技術等が相俟って良質な写真が得られるのであって、表皮剥脱の性状という微妙な所見を判断するには、それに耐え得る水準に達していることが必要であるところ、本件の各写真は悪質不明瞭な古い写真である。従って、右の不明瞭な写真に基づき香川鑑定書控の記載と異る損傷の性状等を判定することは不可能である。石山鑑定は写真から己ないし伊傷を擦過傷でなく圧挫傷であるというが、それには爪が皮膚面にくい込むと同時に指頭による圧挫的作用をし、皮膚の粗化、皮内皮下出血を伴なって初めて扼痕と認められ、更に内部に筋肉や喉頭部等の出血挫滅等の所見が必要である。また、石山鑑定のいう己ないし伊傷に右手指が作用したとすると拇指と示指の指間部分は前頸部皮膚面に接触し得ないから気道を圧迫できないし、甲状軟骨を横から扼圧して声門を閉塞させる位置には損傷がない。

2  小林鑑定(鑑定書、意見書、証言を含む)の要旨は次のとおりである。

(一) 内部所見

窒息死の死体に共通する内部所見として(1)血液の暗赤色流動性、(2)結膜・粘膜・漿膜下の溢血点、(3)内臓諸臓器のうっ血があるところ、香川鑑定書控には観察すべきところの記載が欠如し、あるいは簡略すぎて十分に存否を確かめ得ない面があるが、香川鑑定書控によると(1)について頭蓋内及び心臓内の血液は暗赤色流動性であったと解されるが、胸腹部大動脈内の血液の性状は不明、(2)について心臓内膜、腎盂粘膜、膀胱粘膜などの溢血点の有無を記載していないが、結膜の穹窿部、腸管の漿膜面の細血管、甲状腺の表面、冠状脈管に一応溢血点の存在が認められるとなっていて、(1)(2)はその存在が記載されているが、これらは急死した場合にも認められる所見であり、(3)については窒息死なら当然認められる筈の肝臓、膵臓等にうっ血が認められてなく、肺臓、腎臓には認められるがその程度は弱い。

(二) 頸部所見

扼頸による気道及び頸部血管の圧迫は完全なものでないため顔面のうっ血性出血は高度であり、絞扼には必要以上の暴力が不規則、断続的に加わるため内部の筋肉、血管鞘等における出血が著しく、喉頭軟骨の骨折は甲状軟骨板及び舌骨角に多く、頸部特に側面に手指による圧痕が認められ、脳は充血し、頭蓋骨骨膜、頭皮にはうっ血性出血が生じ、肺は膨満する。

ところで香川鑑定書控によると、(1)フサノの顔面にうっ血が強かったとは認められず、頸部内部の筋肉、血管鞘には出血が殆どなかったとみられ、頭皮、骨膜、脳膜、脳質にうっ血があったとの記載がなく、著しいうっ血を推測させる記述はない。(2)頸部外表の戊、己、庚、辛、壬、癸、伊の各傷はいずれも擦過傷でその位置関係、性状、程度は扼死の場合の扼痕とは一致しないように思われ、少くとも典型的な扼痕には符合しない。また頸部の内部には己・壬傷の皮下に小豆大の出血、己傷に一致する右頸静脈の外膜下に点状の出血竈数点を認むとあるのみで、その他の頸部損傷に伴う出血はなく、甲状腺の表面の出血点は極く軽度の被膜下出血と解され(これは急死の所見に該当すると思われる。)、結局頸部内部に強い絞扼・圧迫に由来すると思われる著しい出血は認められない。(3)舌骨体の不全骨傷は、軟骨結合あるいは関節により結合されているのを誤解した可能性もあり、生前のものであれば伴う筈の出血を認めた記載がないから、甲状軟骨及び舌骨に生前の骨損傷はなかったと解される。また窒息死の場合には、けいれんが起こりしばしば糞尿の排泄が認められるが、残尿量からみて尿の排泄は殆どなかったと推察され、小量の排便があったと思われる。

(三) 以上のとおり、頸部外表の損傷は扼死としては形状、位置、性状、程度が符合せず、頸部内景において極く軽度の皮下出血が認められた擦過傷が二個(己・壬傷)あるのみで扼死を招来するような扼圧痕とは認められず、頸部を強く扼圧したため招来する顔面のうっ血が存在したとの記載もないから、本屍の所見は扼死とは符合しない。特に確定判決にいうように頸部を力一杯五分間くらい押しつけて扼死させた所見とは明らかに一致しない。

(四) 水を満たした飯櫃に頭を突込んでいたという死体の発見状況、香川鑑定書控の肺臓の記載は典型的な溺死肺の所見ではないが、溺死肺を思わせる記載もあること、顔面の外傷がいずれも擦過傷で現場の状況から飯櫃の中に転落したとき上縁などで打撲擦過しても生じ得ること等を総合考察すると、扼死よりも溺死とみなす方がより合理的である。

(五) 尚、後記の石山鑑定については次のような疑問がある。

(1) 顔面のチアノーゼは死後の血液就下によってやや軽減することはあっても全く蒼白とまではならず、頭皮や頭蓋骨骨膜に生じた強いうっ血性出血は死後の血液就下によって全く消褪するものではなく、また頭蓋内に生じたうっ血は残存し頭腔内の開検検査によりうっ血所見を認め得る筈である(香川鑑定書控にはその記載がない。)。石山鑑定は、チアノーゼ、うっ血、死斑が軽度であることをフサノの生前からの全身性貧血で説明しようとしているが、香川鑑定書控から全身性貧血であった可能性は推察されない。

(2) 石山鑑定はフサノが扼頸の直前に失神状態にあったとして、転倒して後頭部を強打した外傷性ショックや戊傷を形成した打撃に基因する頸動脈反射による失神を想定しているが、香川鑑定書控に後頭部を強打した痕跡(例えば皮下出血、骨損傷)など外傷性ショク状態を惹起すると推測される所見はなく、総頸動脈が分岐する部分を圧迫すると頸動脈反射により血圧下降と徐脈を来すことがあるものの、同時に頸部交感神経が圧迫されて反対に頻脈を来たすこともあり、戊傷の位置(香川鑑定書附図第二図では総頸動脈の分岐部よりやや上方にある)、性状(擦過傷である)に照らすと、頸動脈反射を起こして失神したとは考え難い。

(3) フサノの死体写真であるとして検察官が提出した写真と香川鑑定書控の記載との間では、甲傷の位置、長さ、乙傷の長さ(甲傷との比較)、庚傷の位置、辛傷の形状が異なり、丁傷が写真に写っていないこと等において一致しない部分があり、香川鑑定書控の被害者と同一人の写真であるかに疑義がある。また、処々に血痂が附着していた頸部各外傷が擦過傷圧か圧挫痕的であるかの判定は写真からでは不明であると言わざるを得ない。特にD(己)傷は血痂の附着を思わせる外傷で三日月状とはいえず、石山鑑定のいうように栂指がDの下半分から上半分にずれ、E、F(庚)に移動して圧挫的に作用したとはE、Fの位置関係から納得できない。H(壬)傷は、石山鑑定のいうように、右手の各指を扼圧する状態にして中指の先のみをひねって(或いは回転して)も、十字型の傷はできず、無理に作ろうとすると他の指が連動する(他の指が連動した痕跡は写真上もみとめられない。)。

3  小片鑑定(鑑定書、意見書、証言を含む)の要旨は次のとおりである。

(一) 香川鑑定書控は解剖記録に記載された所見のいずれから本屍の死因を扼殺と結論したのかについての説明がなく、不明である。扼死は気道閉塞による窒息が主な原因である(他に頸部に存在する神経に対する急激な刺激によるショック死もある。)から、死体は窒息死の一般所見を具有し、かつ頸部に扼圧の痕跡が存在するものである。

(二) 窒息死の外部所見について

香川鑑定書控によると、(1)本屍の顔面には重要所見であるチアノーゼが発現しているとは認められず、(2)眼瞼結膜の穹窿部には著明に無数の溢血点の存在が記載されているが、眼瞼・眼求結膜は蒼白で血管網の充盈は認められず、顔面、頸部、上胸部、上腕部に溢血点の発現はない、(3)死斑は暗紫色ないし暗紫赤色で高度、広範かつ早期に発現するとされているのに、その記載は一項で淡き紅色の斑点として散見、特に著明でない、六項で背部は紫赤色で処々に針頭大の紫黒色の斑点と違っており、後者としても色調が異なる、(4)尿失禁は残尿量から判断してなかったと推定される(糞については漏出しているとある)、(5)急性窒息死特に扼殺死体では、嘔吐または吐物の気道内吸引は胃内容が多量の場合に発現しやすい所見であるところ、本屍の胃には一〇〇〇グラムもの内容物が存在していたのに、右所見がみられない、(6)舌尖は上下歯列間に篏入しているが、急性窒息死にしばしばみられる自咬がない。

このように本屍には死因を急性窒息死ことに扼死と認めるに足りる外表所見は薄弱である。

(三) 同内部所見について

香川鑑定書控によると、(1)血液の暗赤色流動性は心臓内血液及び心臓剔出の際の附属血管より流出の血液について認められるが、その他の記載は信憑性を欠く、(2)粘膜及び漿膜下の溢血点は腸管、咽頭上口附近、心臓、膀胱粘膜に存在するが、急性窒息死体に多発する肺の膨大及び溢血点は存在せず、扼殺死体にしばしば発現する喉頭蓋、喉頭下腔及び気管上部の粘膜に存在せず、腎盂粘膜、子宮外口部粘膜についての記載はない、(3)内臓のうっ血は腎に存在するのみで、他に存在しない(肺のうっ血は重要所見である。)。

このように急性窒息死を推定させる所見の内、本屍には重要所見が欠けており、扼殺という急性窒息死体の所見としては薄弱である。

(四) 頸部の所見について

扼死に最も特徴的な所見として、頸部外表の扼頸部に扼痕(手指による扼圧の際に生ぜしめられる爪痕と指先による圧迫痕)がみられ、内部所見として扼痕付近の皮下組織、筋肉鞘、筋肉内等に出血がみられ、舌骨、甲状軟骨の骨折がしばしばみられ(特に老人に多い)、喉頭蓋、声門、声門下腔粘膜にうっ血、溢血点のみられることが多く、粘膜は浮腫状を呈する。

香川鑑定書控によると本屍の頸部には戊ないし伊の各傷がみられるところ、(1)戊傷は点状の擦過状表皮剥脱二個で極めて軽微であり、人の指爪によるとすれば爪先が極めて軽く擦過的に作用したもので強い指先の圧迫が加わったとは考えられない。検第八号、第四五号の五の写真と鑑定書控の記載とは大きさ、性状(点状擦過というより一個の黒斑とみられる)が余りにも違いすぎ、また右各写真を拡大すると戊傷の形が異なる図形となっていることからみて、右黒斑を戊傷と認めてこれが扼痕であるというのは軽卒である。(2)己傷は擦過傷及び擦過傷と覚しき損傷で皮下に小豆大の皮下出血を伴い、また右頸静脈の外膜下に点状の出血巣数点があって己傷に一致するとあるが、掻爬創と推定される。爪による扼痕であれば外頸静脈に点状出血を生ぜしめる程度の圧迫が加わった場合には掻爬創の周囲に指端の圧迫の痕跡があるはずであるのに、己傷にはそれがないから、扼痕とは認め難く、右の点状出血は己傷によって生じたものではない。検八号の写真によると、己傷の長さは約二センチメートルと推測され鑑定書控の記載と大きさが異なる(上下の長さが約二・五センチメートルなら、割合からいくと幅が〇・三七センチメートルとなる。)。(3)庚傷は、点状擦過状表皮剥脱で尖った攻撃面をもった鈍器の作用によると推測されるところ、本屍が右手で扼頸されたとすれば用いられたと推定される栂指と他の四指とを伸展した手掌面には点状擦過創を形成する部分がない。従って庚傷は攻撃以前に爪等が擦過したために生じたものと考えられ、扼痕とは認め難い。また写真では、己傷の左前方にやや大きな黒斑一個(検八号)、左胸鎖乳様筋と推定される隆起上に水平方向に長い楕円形の損傷(検四五号証の五)がみられるが、位置はアダム氏果の直下部でなく右下方であり、大きさは点状というより大きいから、これを庚傷と認めるには疑問がある。鑑定書控の庚傷は検八、検四五号の四には認められず、同号の五の拡大写真には軽度の変色点があるが、位置、大きさ、個数からこれを庚傷とみることもできない。(4)辛傷は極めて軽微な点状表皮剥脱であり、戊傷と同様の理由により扼痕とは認め難い。写真の辛傷は正面から撮影した検四五号の五と左側方からの同号の四とでは異なった形状を呈しており、もともと不明瞭な所見であったと推定される。(5)壬傷は十字形の表皮剥脱で二回の作用によって生じたと推定され、頸部扼圧によるものであればその部に圧痕を生じなければならない(また舌骨の不全骨傷があったとすれば、その一つは壬傷の作用と推定され、壬傷に圧痕が存在して然るべきである。)のに、壬傷には圧迫痕が認められないから扼痕とは考えられない。検四五号の四の拡大写真によると二つの創が略直角に交叉していて、いずれも極めて表在性で深くなく創縁は鈍であり、周囲に圧痕が認められない。(6)癸傷の右方に甲状軟骨があり、その所見(左甲状軟骨は右側に比して移動しやすい。)を生ずるには左甲状軟骨部に圧力が加えられた筈で、癸傷がその原因として最も考えやすいが、癸傷は軽度な掻爬創で周囲に圧痕が認められないので、扼痕とは認められない。写真により、鑑定書控記載の壬傷の二センチメートル直下との距離を基準として癸傷の長さ・幅を計算すると、長さ三・八ないし四・七センチメートル、幅〇・六ないし〇・七センチメートルと推測され、鑑定書控の記載(長さ一センチメートル、幅〇・二センチメートル)と差異が大きすぎる。(7)伊傷も著しく軽微な点状表皮剥脱であり周囲に圧痕がなく皮下組織が淡紅色を呈しているにすぎず、扼痕とは認め難い。以上の各傷は形態的に扼痕とは認め難い程軽微であり、また位置関係からも扼頸によるものとしては矛盾がある。

また、(8)甲状腺には表面に小豆大ないし蚤刺様の出血点が存在しており、その原因として生前の鈍器の強圧作用が加えられ、庚傷がこれに相当する外力の痕跡と考えられるが、庚傷については前記のとおり攻撃前の受傷と推定されるので甲状腺に外力が加わったか否か不明であり、また右手による扼圧とすると戊傷と壬傷等との間隔が短く手掌面が浮き上り甲状腺部を強圧できないので、甲状腺の出血点の発生機序は他に求めるのが合理的である。そして、それは急死現象の際に発生する随伴的所見と考えても不自然ではない。(9)右頸静脈外膜下の点状出血巣数個は己傷に一致すると記載されているが、己傷は前記のとおり扼痕とは認め難く、右点状出血巣は単に己傷という限局的な軽微な外力によって生じたとはいえない。(10)甲状腺軟骨(左側は右側に比し移動しやすい。)、舌骨(舌骨体と右角との間に不全骨傷がある。)の所見であるが、甲状軟骨には出血を認めないので大きい異常とは考え難く、舌骨の不全骨傷部に出血がないから、扼頸された際に生じたものとは認め難い。これらが扼頸によって生じたとすれば、扼頸力が軽度に過ぎ、外表に扼殺を肯定し得る程度の扼痕がない。右各所見は出版物に記載されている一七才男子の絞殺死体の解剖例と著しく類似しており(右と左を入れかえ、不全骨折を不全骨傷と替えている。)、絞殺の例を模倣した疑いがあり、信用し難い。いずれにしても、右所見から扼頸を実証することはできない。

(五) 死因について

本屍の胃内に一〇〇〇グラムの食事内容が存在していたから、急性心臓死を招来しやすい状態にあったことは軽視できないが、冠状動脈についての剖検所見の不備等のため急死の原因を追及できず、肝臓の異常(腫大と脂肪肝)と脾臓の腫大から門脈系の何らかの循環異常が推定され、溺死とする可能性を残しているが、いずれも香川鑑定書控の記録が不備であるので断定できない。検察官提出の死体写真が本屍のものであれば、右外頸静脈が極めて怒張しており、これは急性心肺血液異常の際に現われることの多い所見であるので、本屍は急性心機能障害による死亡の公算が大きい。

(六) 尚、後記の石山鑑定については次のような疑問がある。

(1) 石山鑑定は、フサノの解剖時のものとみられる写真を分析して香川鑑定書控の信頼性を判定する方法をとったが、これらの写真は昭和三年の古い写真技術によって撮影されたものであり、分析したのはその拡大写真が主であって、所見を明確に判別できる程に精密正確なものではない。しかも石山鑑定は香川鑑定書控に記載されている所見及び同附図に図示されている所見と異なっている写真所見を独断的に想像するなど、その鑑定方法には根本的に誤りがある。

(2) 本再審請求事件では確定判決が当を得たものか否かを検討することが重要であるのに、石山鑑定は判決の内容を既定の事実の如く肯定し、それを原点としてフサノの死因に対する思考を出発させるという誤りを犯している。

(3) 石山鑑定は、まむし指状に曲げた拇指が作用してD傷(己傷の内、不正長方形のもの)を形成した後に前頸部への回転性の動きの際にE傷(己傷の内、Dの左側の点状のもの)の圧挫を生ぜしめ、続いてF(庚)傷を形成したというが、D傷には前頸やや上方への爪の移動を証明するような擦過の痕跡は認められない。また、H(壬)傷につき、十字型の損傷は一本の指が作用位置を変えることなく作用方向を変えるだけで発生し得るもので、十字型に交叉した三日月または半月状の皮膚損傷が頸部にあれば直ちに扼痕と判定してよいというが、まむし指にした右手拇指で右頸下部を強圧しながら右手示指、中指、環指、小指で扼頸しつつ中指のみを爪を皮膚に立てて十字状に回転圧迫することは不可能である。従って、己、庚、壬傷の成因についての意見は誤りである。

四  検察官は右各鑑定の新規性、明白性を争い、反証として三上芳雄作成の鑑定書、意見書の各謄本、松倉豊治作成の意見書(昭和五九年六月一九日付謄本、昭和六〇年一月一一日付)、回答書、「小片重男氏見解について」と題する書面、石山昱夫作成の鑑定書(その一、その二)を提出した。これらは理由づけを異にするものの、いずれも香川鑑定書控の本屍の死因を扼死とする結論を是認できるとするものである。その要旨は次のとおりである。

1  三上鑑定(鑑定書、意見書、証言を含む)

(一) 扼死には窒息死の所見が必要であるところ、外部所見として顔面のうっ血、眼等における溢血点、死斑の著明、失禁等が挙げられるが、扼死の場合には顔面のうっ血は著明でないこともあり(特に気道が圧迫された形では、そう著明でないことがある。)、失禁も必発ではない。内部所見として、血液の暗赤色流動性、漿膜下、粘膜下の溢血点、内臓のうっ血が挙げられる。

本屍には、(1)外部所見として眼瞼結膜の穹窿部に溢血点があり、肛門に脱糞の記載がある、(2)内部所見として、咽頭上口附近粘膜下及び心臓冠状動脈走行せる附近に溢血点があり、心臓(左右心室、心房)、その附属の血管、左右肺に暗赤色の流動血を出し、左右肺、左右腎にうっ血があったと認められるので、窒息死の所見が認められる。

(二) 扼殺は手で頸部を圧迫するから、頸部外表には扼痕(爪による表皮剥脱または皮下出血)が形成され、内部には扼痕に一致して頸部筋肉内の出血、舌骨、軟骨の骨折が認められることが多い。

本屍の顔面、頸部の外表に存在する甲ないし伊傷はいずれも表皮剥脱(擦過傷)で帯紫赤黒色を呈し、処々に血痂を附着し、皮下乳嘴に出血を認めるというのであるから、これらの表皮剥脱は生前に生じたものと認められ、また甲状軟骨及び舌骨に損傷が認められる。

(三) 以上によると、フサノの死因は手(右手と思われる)をもって前頸部を扼圧された結果による窒息死、即ち扼死と認められる。

(四) 内藤鑑定は病死の意見を述べるが、その根拠はいずれも推測の域を出ず(述べるような疾患等がフサノにあったとは香川鑑定書控の記載に照らし認められない。)、小林鑑定は溺死の意見を述べるが、溺死の根拠を見出し得ない。

(五) 本屍に対する扼頸は前方正面から右手指でなされたものと考える。

2  松倉鑑定(意見書、回答書等、証言を含む)

(一) 香川鑑定書控によると本屍の顔面及び頸部に甲ないし伊の擦過傷があり(写真を参照すると「点状」擦過傷の表現は、もう少し大きいものを含めて使用しているとみられる。)、これらはいずれも表皮剥脱して紫赤黒色を呈し血痂を附着し、深さは真皮に波及し乳嘴部に出血があるほか、己傷・壬傷の皮下には小豆大の出血を伴ない、前頸に相当して甲状腺表面に著明なる小豆大ないし蚤刺様の出血点があり、己傷に一致する右頸静脈外膜にも数個の点状出血が認められる等の扼頸に伴う内部所見として矛盾しない変化があり、また各損傷の形状、全体としての配置も扼痕として通常みられるところであるので、これらを扼痕とみなすことに特に問題はない。

(二) 内藤・小林両鑑定は、右各損傷をいずれも軽微なものとし、甲状軟骨・舌骨の所見を誤りとするが、己・壬傷は内部所見を伴なっており、甲状軟骨・舌骨に対し外力を波及し得る己、庚、辛、壬、癸の各傷があり、これらはいずれも生活反応が認められるのであるから、原解剖実見者の判断を軽々に誤りとは言えない。更に、本屍に溺水の吸引を思わせる所見は左気管支の断端よりの泡沫を交えたる汚汁のみであり、溺死の重要所見が認められず、溺死を積極的に肯定すべき所見はみられない。また、病死の所見は推測の域を出ない。顔面、頸部の各損傷は落下して飯櫃に頭首を突込んだ状況から生じるとは考えられず、また、二才九か月の幼児が引掻いても皮下や内部組織間に出血する程の圧迫は不可能である。

(三) 本屍に対する扼頸は後方から両手指でなされたと考えられる。

3  石山鑑定(鑑定書、証言を含む)

(一) 科学的資料である検察官提出のフサノの写真(検八号、四五号の一ないし六及びこれらの拡大写真)を分析して香川鑑定書控の信頼性を検討する。香川鑑定書控では本屍頸部の戊ないし伊傷はいずれも擦過傷とされているが(表皮剥脱とするのが正当である)、各写真によると、これらの表皮剥脱は単なる擦過的作用によるものではなく、戊傷は擦過的と圧挫的作用の混合とみられ、己ないし伊傷は圧迫された圧挫的作用によって生じた損傷とみることができる。特に壬傷は二つの線状皮膚変化部が十字状に交叉しているが、二つの皮膚変化とも特徴的な三日月型の模様が認められ、かつ一本の爪が作用位置を変えることなく作用方向を変えることによりこの損傷を生じさせ得るのであるから、爪の圧挫作用による典型的な扼痕と認められ、また、己傷は皮膚にくいこんでいて擦過性の性質がなく、辛傷も皮膚にくいこむように作用しており、いずれも扼痕と認められる。このように頸部の己ないし辛傷は扼頸によって生じたものと言える。

(二) 香川鑑定書控により頸部の軟部組織の損傷についてみるに、右各損傷の皮下は周囲に比して淡紅色が強く、最も強く扼圧されたとみられる己傷、壬傷の皮下には小豆大の出血があり、己傷に一致して右外頸静脈外膜下に出血竈があって頸部の各損傷が生前に生じたことを示している。また甲状腺の表面には小豆大ないし蚤刺様の著明な出血が存在しており前頸部に扁平な手掌面が平等に作用したものとみられる。

扼頸の場合によく認められる所見である頸部筋肉層間の出血が本件では存在しないとされているが、手掌面で前頸部を一定時間圧迫し続けるといった場合には筋肉全層が殆どずれを起こさないで一つの集団として押されるので必ずしも筋肉層内に著明な出血が生じないし、圧挫性出血も生じないこともあり得る(筋肉層内に軽度のずれが起こっていることは筋肉集団と疎な結合をしている甲状腺の表面に出血が存在していることから認められる。)。また、本件では舌骨に不全骨傷ありとされるが、出血の存否の記載がないところ、甲状軟骨や舌骨の骨折は扼頸に必発の所見でもなく、本件では頸部に手指による扼圧痕が存在しているから、右骨折が生前のものか否かにこだわる必要はないが、間接性骨折では著明な出血を伴なわない骨折があり得る(特に不完全骨折ではそうである。もっとも、細い血管は断裂しているであろうが、目立ったものではないので肉眼的に見逃すこともあり得る。)。

(三) 扼頸の場合には頸静脈の閉塞が起こりやすいのに頸動脈の閉塞が不十分なので頭部や顔面にうっ血やチアノーゼや死斑が発生しやすいものであるが、本件では顔面のチアノーゼやうっ血が存在しない。しかしながら、(1)顔面に生じたチアノーゼは死後の血液就下のために顔面から血液が引いて蒼白化することがある。(2)フサノの右外頸静脈部には己傷があるので血流がかなり阻害されている可能性があるが、左外頸静脈部の伊傷は圧迫力が小さく閉塞が不完全である可能性が強いので、右外頸静脈部の静脈性うっ血が吻合枝によって左外頸静脈に流れ込み、余り著明なうっ血が存在していなかったことが考えられる。また頸静脈部に余り圧力が加わらなかった場合にはチアノーゼ、うっ血が顔面に生じなくてよいところ、総じてフサノに対する圧迫は動静脈が密集している上頸部ではなく右頸部のやや下の部から左の側頸部全体にわたって作用したものであるから、脳血管、頸部血管に対して余り大きな作用を及ぼしていない可能性がある。(3)死斑について香川鑑定書控では一項と六項に矛盾した記載があるところ、写真で見る限り死斑が存在したとする六項の記載が正しいと思われるが、急性窒息を含めた急性死の二日以上経過した死体にみられる死斑としては、かなり軽度である。このような場合には、生前に出血または貧血があったということによって説明のつく場合が多く、本件においても全身性貧血が生前にあった可能性が強い。そうすれば、うっ血やチアノーゼが発現しても通常人より軽微であろうし、従ってかなり早く蒼白化する。以上の因子が関係して剖検時の顔面色が形成されるのであって、うっ血やチアノーゼがないから、扼頸でないとは言えない。

(四) 頸部損傷について

フサノの頸部の損傷は、己、庚、壬傷が大きさ及び重篤度からみて三才程度の幼児の爪では生じ得ず、辛傷も大きさからみて不適当である。また各損傷は圧挫状であり、いろいろの方向をもっているから、飯櫃に落下した際、身体がけいれんによって移動した際に生じた可能性はない。

(五) 溺死説について

新鮮な溺死死体では泡沫を混じた粘液が気道に充満しているが、これは溺肺のみでなく窒息の随伴所見である肺浮腫でも生ずるから、これのみをもって溺死を推定することはできず、数日たった場合には肺内の溺水が胸腔に漏れ出して来るから胸腔内に見出される筈であるが、本件ではその所見はなく、溺死とはいえない。また胃の内容量から溺水を呑み込んだと推定するとの考えもあるが、雑炊を食べ、お茶を飲めば、胃液分泌、唾液分泌も加わって、食後間もなくの間は胃内容が一リットルくらいあってもおかしくないから、否定される。

五  証拠の明白性について

右のあらたな証拠が旧刑訴法四八五条六号の「無罪ヲ言渡スヘキ明確ナル証拠」(現行刑訴法四三五条六号の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と同旨と解される。)であるか否か、即ち明白性の有無を検討する。

ところで無罪を言い渡すべき明らかな証拠とは、確定判決における事実認定につき合理的疑いを抱かせ、その認定を覆えすに足りる蓋然性のある証拠をいうが、その判断は新証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば確定判決のような事実認定に到達したかどうかという観点から、新証拠と他の全証拠とを総合評価してなすべきであり、その判断に際しては「疑わしきは被告人の利益」との原則が適用され、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるものと解される。そして右の総合評価すべき他の全証拠とは裁判記録中にある証拠を指すと解され、裁判記録の存在しない本件においては、香川鑑定書と同一内容とみられる香川鑑定書控がそれに替るものとなるが、確定判決に記載された証拠の内、請求人の豫審調書及び検事訊問調書における犯行自体についての自白を裏付けるのは香川鑑定書のみであるという証拠構造に照らすと、右の判断方法に従い、新証拠によってフサノの死因が扼死であるとする香川鑑定書の結論に合理的な疑問が生じたときに、新証拠の明白性が認められるものと言える。(もっとも、本件においては弁護人から事件発生以後公判審理まで報道している当時の新聞が証拠として提出されているところ、本来裁判記録によって明らかにすべき事項を新聞により立証することには問題があるが、特に審理経過についての客観的な事項、例えば公判期日を開いたとか或人を証人尋問した等に限れば、誤報の危険性は殆どなく特に弊害はないと考えられるから、これらを新聞から認定することは差し支えないと解するのが相当である。ところで、弁四三号の二二の中国新聞の記事写によると、請求人に対する事件について控訴審は鑑定人の香川卓二医師を証人尋問したことが認められる。確定判決は右証言を証拠として記載していないから、確定判決の記載している結論部分は鑑定書と同旨の証言であったと推測されるが、一審ではその形跡がないのに二審で証人調べをしたのであるから、本件再審請求において鑑定人らから不備不完全と指摘されている検査所見から結論に至る説明、死斑の矛盾した記載、肺についての左右の誤記等はもとより、その他の所見について証言した可能性は高いものと推測される。そうすると、裁判記録が存在すれば右証言は新証拠の明白性の判断につき鑑定書とともに総合評価されるべき主要な証拠であるから、それがないまま鑑定書控のみを対象として明白性を判断することには疑問なしとせず、その点についての配慮が必要であると思われるが、本件では、とりあえず香川鑑定書控のみを対象として考え、もしこれのみでもその結論に合理的疑問が生じないということになれば、右証言についてはこれ以上触れないこととする。)

そこで、以下新証拠の明白性が認められるか否かについて検討するが、弁護人提出の香川鑑定書控の信用性に関する新証拠である内藤、小林、小片の各鑑定書、意見書(各証言を含む)に対しては、検察官からも前記第二、三のとおり新証拠の証明力を減殺するため、香川鑑定書控の結論を支持する三上、松倉、石山の各鑑定書、意見書(各証言を含む)が提出され、かつ、弁護人、検察官双方から扼死に関する多数の文献、資料が提出されているので、以上すべての鑑定書、意見書、証言、文献、資料を参酌して、先ず一般的な扼死の定義、症状、認定方法を調べ、次にその結果から窺われる香川鑑定書控中の扼死に関連する事項の要点を整理し、そして右扼死の一般的認定方法に照らし、香川鑑定書控の右要点から山本フサノの死因を扼死とする結論を導き出すことが不合理と言えるかどうかを考察する(もし不合理と言えるとすると、新証拠により香川鑑定書控の結論に合理的疑問が生じたことになるし、もし不合理と言えないとすると、新証拠によっても右結論に合理的疑問は生じなかったことに帰する。)。

六  扼死について

1  扼死とは手や腕で頸部を圧迫して死に至ることであり、自殺は考え難く殆どが他殺即ち扼殺である。頸部の圧迫により頸動・静脈の循環障害を生ぜしめ得るが深部を走る椎骨動脈を圧迫することはできないから、脳領域の循環障害による死亡は考え難く、主たる死因は圧迫により気道が閉塞または狭窄され呼吸不能に陥って死亡する窒息死とみられる(弁七四、一〇〇号、本件の各鑑定。他に頸部神経ことに頸動脈洞の急激な刺激により反射的にショック死することもあると言われているが、本件では窒息死である扼死との香川鑑定書の当否が争われているので、以下主として窒息の場合を論ずることとする。)。

2  扼頸は、多くの場合片手または両手で頸部(喉頭、気管)を左右から圧迫し、もしくは同時に後方の脊柱に向って圧迫する方法で行われる。喉頭を側方から圧迫すると気道(声門)は容易に閉塞されて呼吸困難に陥ると言われている。前方からの圧迫は相当強い力を要し、気道は頸椎の前面に押しつけられて閉塞し、喉頭、舌骨が上後方に圧迫されると気道は閉塞または狭窄されて呼吸不能に陥ると言われている(弁七四、一〇〇号)。

3  以上のことから、扼死には頸部に扼頸による外表所見及び内部所見がみられるとともに窒息死の所見がみられることになる。従って、右の各所見が認められ、他の急死の所見がないときに扼死と判断できることになる。

4  頸部の外表には扼死に特有で重要な所見として喉頭の両側に扼圧の痕跡(扼痕)がある。手指による扼痕は典型的には三日月もしくは半月型の爪の痕が喉頭の一側に拇指の作用によるもの、反対側に他の四指の作用によるものが生じるが、被害者の抵抗、その排除等の動きもあるので、多くは不規則な線状、不整形の表皮剥脱となり、指頭の圧迫による皮下出血も認められるが、五指すべてが扼痕を残すとは限らない(弁七四、一〇〇号、本件の各鑑定。尚、表皮剥脱には擦過性のものと圧挫性のものがある。南山堂・医学大辞典)。但し、表皮剥脱等の痕跡が著明でないこと、軽微な表皮剥脱で皮下に出血のないこともあり、意識喪失後の損傷では血圧低下等のため皮下出血等の生活反応がみられないこともあるとされている(検二六、四二の二、五八の三、六〇の二号)。

頸部の内部所見として、(1)扼頸附近の皮下組織、筋肉等に出血が認められ、特に拇指の強い圧迫により出血が生ずることが多い。但し、出血が著明出ない例もあり、死戦期の損傷は生活反応が微弱で認め難いこともある。(2)甲状軟骨や舌角の骨折はしばしばみられ特に老人の場合には多いといわれている。但し骨折(完全な骨折)の頻度は意外に少ないとの報告例もあり、舌骨骨折が発生するのは直接外力が伝わる場合と間接的に伝わる場合があるとの考えがある(弁七三、一〇〇号、検二六、四二の二、四三、六二、六六号)。

5  窒息の外表所見として次のものがある。

(1) 顔面はうっ血のためにチアノーゼを呈し腫張する。特に絞扼頸の場合には著明である。但し、仰臥状態に置くと死後の血液沈降のために変化する(その程度については、やや淡くなる、幾分減退することも少なくないとの表現から、淡くなるのが普通、更には消失することがあるとの表現までに考え方に差異がある。)。また、扼死で顔面うっ血が著明でない例(この例は、頸部の損傷も内部組織の損傷、結膜の充血・溢血点も著明でなく、頸動脈への圧迫が必要最小限度かつ極めて効果的であったため急速に意識を喪失したと考えられるとの意見が付されている。)、死後一日半内外経過の絞殺死体について顔面蒼白の例もある(弁七四、一〇〇号、検二七、四二の二、五二、五九、七〇号、本件の各鑑定)。

(2) 眼瞼・眼球結膜に溢血点が現われ、特に眼瞼結膜に多く現われる。但し、扼殺で眼結膜の蒼白の例もある(弁七四、一〇〇号、検五九号、本件の各鑑定)。

(3) 暗赤色流動性の血液が沈下することにより死体の下位部に紫赤色(暗紫色)の死斑が速やかに広範囲に現われる。二ないし三時間で著明になり一二ないし一五時間で完成する。四、五時間以内に死体を転位させると死斑は消失し、新しい体位の下位部に出現すると言われている(弁七四、一〇〇号)。

(4) 糞尿、精液を漏らすことがある(失禁)。窒息のけいれん期に起こる。その他、舌の挺出、嘔吐・吐物の吸引がおこることがあるとされている(弁七四、一〇〇号)。

6  窒息の内部所見として次のものがある(これを三大主徴ともいう)。

(1) 血液が暗赤色流動性である。

(2) 内臓器官の漿膜下・粘膜下に溢血点のみられることが多い。肺の表面、心臓の冠状動脈に沿った部分及び後面、大動脈起始部、腎盂・膀胱・咽頭・声門下腔・気管粘膜などにみられる。

(3) 内臓がうっ血する。肺は著明にうっ血し、窒息が長びいた場合等には肺は膨張し肺浮腫を起こすこともある。肝臓、腎臓、膵臓、脳にもうっ血を来たす。脾臓はうっ血することもあるが、一般に貧血性で萎縮している。(以上は弁七四、一〇〇号、本件の各鑑定)。

もっとも、これらの所見は急死の所見でもあり、三つが著明であれば明らかに窒息であるが、三つ揃えば一応窒息の可能性が強いと言える(弁一〇九号)。

七  右の扼死の所見の各事項についての香川鑑定書控の記載の要点をまとめると次のようになる。

1  頸部の外傷

戊ないし伊傷がある。いずれも擦過傷で、己傷(長さ二・五センチメートル、幅〇・二センチメートル)、壬傷(長さ一・五センチメートル、幅〇・二五センチメートルと長さ一・二センチメートル、幅〇・二五センチメートル)、癸傷(長さ一センチメートル、幅〇・二センチメートル)の他は、いずれも点状のもの(尚、戊傷は横径に並列、伊傷は前後に並列する旨、庚傷は横径に走行せるが如き状態を窺い得る旨の記載あり)、性状は同様で紫赤黒色を呈し処々に血痂様物を附着し、周擁皮膚より僅かに硬く、明らかに乳嘴の出血を認める。

2  頸部の内部所見

皮下静脈が著しく怒張して多量の流動血を容し、右各傷の皮下組織は周擁に比して殆ど淡紅色を帯ぶ。なかんずく己傷、壬傷の皮下には小豆大の出血を認める。甲状腺の表面にやや著明なる小豆大ないし蚤刺様の出血点を有す。甲状軟骨は左側が右側に比して移動しやすく、舌骨体と右角との間に不全骨傷がある。右頸静脈の外膜下に己傷に一致して点状の出血竈数個がある。頸筋に破裂、出血なし。

3  窒息死の外表所見

(1)顔面にうっ血の存在を認める記載はない。(2)眼結膜は概して蒼白色を呈するものの、穹薩部に著明な無数の溢血点を現わす。(3)死斑については、仰臥せる屍の後面の部分に淡き紅色の斑紋が散見されるが特に著明でない(一項)、背部は一般に紫赤色を呈し(死後血液沈墜)処々に針頭大の紫黒色の斑点を現わす(六項)と相反する二つの記載がある。(4)失禁に関するものとして、膀胱に三〇〇グラム余の尿がある。肛門は多開して黄色の直腸内容を漏出せりとの記載がある。(5)歯列間に舌尖が僅かに篏入している。

4  窒息死の内部所見

(1)血液の暗赤色流動性は頭腔内、軟脳膜、頸部皮下静脈、心臓、左右肺・腎臓に認められる。(2)漿膜下・粘膜下の溢血点は腸管の漿膜面の細血管充盈し処々に蚤刺様溢血点、心臓冠状脈管の走行せる附近に処々蚤刺様溢血点、咽頭上口附近の粘膜下に蚤刺大ないし栗粒大の溢血点、膀胱粘膜に少許の溢血点が散在する。(3)内臓のうっ血については腎臓は左右とも著しく血量に富み、心臓の血管内は血量に富むとの記載がある。

八  以上の点をふまえ、フサノの死因を扼死とした香川鑑定書控の結論が不合理といえるかどうかを検討する。

1  頸部外表の損傷について

頸部外表に戊、己、庚、辛、壬、癸、伊の各傷が存在することは香川鑑定書控の記載及びフサノの死体写真(拡大された検五六、五七号)により明らかである。

もっとも、香川鑑定書控と右写真を対比すると損傷の存否、位置、形状は殆ど一致するが、一部異なるものがある。即ち、香川鑑定書控では庚傷の位置はアダム氏果の直下部とされ、同第二図にもその部位に図示されているが、検五六、五七号の写真では撮影角度を考慮しても、庚傷とみられる損傷は明らかにアダム氏果(のどぼとけ)の直下部ではなく右下部にあるとみられるから、庚傷の位置についての香川鑑定書控の記載は誤記と言わざるを得ない。また香川鑑定書控にいう丙、丁傷が写真から確定できず、写真から損傷と窺われる石山鑑定書にいうK傷について香川鑑定書控に記載がないとの指摘があり、これらの不一致の原因は明らかでない。更に、その他の損傷についても位置、長さ、幅等に疑問を呈する意見(小片鑑定)もあり、厳密に言えば多少の誤差は否定できないように思われる。しかしながらこれらの点を考慮しても、前記の製本された鑑定書控、鑑定書附図等に照らすと、写真がフサノのものであることを否定できないし、かつ右の誤記等が直ちに香川鑑定書控の信用性に影響するとは言い難い(内、丁傷は扼死との関係では重要な所見とはみられない)。。

(一) 位置

これについて、石山鑑定は、わしづかみの形にした右手の拇指が己傷に、示指、中指、環指、小指がそれぞれ辛、壬、癸、伊の各傷に作用したと主張するところ、位置的にはわしづかみの右手各指で右各傷の箇所への扼頸作用が可能であることは、小片鑑定(証言)も肯定しており、右側頸部下顎隅の下方にある戊傷、前頸部附近の庚傷を除いた頸部の各損傷は、位置的には右側頸部に一個、左側に四個あるのであって、右手各指の作用によると考えることができる。

(二) 性状、大きさ

香川鑑定書控によると、頸部の外傷はいずれも擦過傷で、形状、大きさについて具体的に記載されている己傷(その内の不正長方形のもの)、壬傷、癸傷を除く各傷はいずれも点状の擦過傷と記載されている。もっとも点状といっても、横径に走行せるが如き状態を窺い得る点状の擦過傷(庚傷)、小なる点状の擦過傷(伊傷)との記載に照らすと、横への拡がりを感じさせ或いは点状の中にも大小の区分があると考えられるのであって、香川鑑定書控にいう点状は文字どおりの点状(鉛筆の芯の先をたてた程度のもの)というより幾らかの大きさを伴ったものを含めていると考えられる。

(尚、擦過傷は表皮剥脱とするのが正確な用法であるので、以下表皮剥脱というが、表皮剥脱に擦過性のものと圧挫性のものがあることは前記のとおりである。本件の鑑定中には圧挫傷との言葉も出て来るが、小片鑑定《証言》によると圧挫傷という表現をするようになったのは比較的最近のことであるから、香川鑑定書控にいう擦過傷即ち表皮剥脱は圧挫性のものを含む意であるとみるのが相当である。また香川鑑定書控は皮膚剥脱との表現もしており、表皮剥脱と同視する意見や皮膚の粗を表現したと考える意見があり、明確でないが、擦過傷と別の表現を使用していることに照らすと、後者の意見が合理的のように思われる。)

そこで、フサノの死体写真が外表の状態を知り得る資料として注目されるが、これらは昭和三年に撮影された白黒写真で既に五〇年以上を経過していて褪色しているし、もともと撮影の角度、採光、露出、現象等が外傷の性状、形状、部位を判断するのに適切であったか疑問もないではなく、写真には焼増しをする度に白い部分がより白く黒い部分がより黒くなっていくとの性質があるうえ、本件では判断のために拡大した写真が主たる資料となっていること、また香川鑑定書控によると各損傷は紫赤黒色で乾燥し処々に血痂様物を附着しているところ、写真上のその判別は必ずしも容易でないこと等を考慮すると、写真を死体と同一視し、或いはそれに近いものとみて、その所見を当然に鑑定書の記載に優先させることは必ずしも相当と言い難い。しかしながら、鑑定書控の他にフサノの損傷についての資料のない本件においては、写真が貴重な資料であることは否定できず、右の問題点について慎重な配慮を加えてみれば鑑定書控と相俟って損傷の形状、性状等の判断資料となり得るし、写真から明らかな事項に限れば鑑定書の記載を補充し或いは訂正するものとして扱うこともできると考えるのが相当である。

各写真によると、前記の頸部外傷は点状というより、いずれも幾らかの長さ、面積をもった表皮剥脱であり、十字状の壬傷はいずれも指爪を思わせる半月もしくは三日月形の痕跡を残しており、己傷の不正長方形は陰影が濃く圧挫的作用のあった可能性を窺わせるものがある(血痂様物の附着している部分が写真上で判明し難いので、写真のみから圧挫的作用があったとは判定し難いが、内部所見と合わせると重要な資料となり得る。)。そして最も力の加わる拇指と中指に対応する位置の表皮剥脱に、爪の痕跡と思われるものがあったり圧挫的作用が窺われるということは、右外傷の原因として扼頸を疑う重要な事情といえる。

2  頸部の内部所見について

(一) 各外傷の皮下組織は周擁に比して殆ど悉く淡紅色を帯ぶとの香川鑑定書控の記載について、軽い出血があったとみられるか否か各鑑定の意見がわかれているが、香川鑑定書控が右に引続き、就中、己傷、壬傷の皮下には小豆大の出血の存在を認むと記載していることを併せ考えると、香川鑑定人は軽い異常と考えていたものと推認される。

(二) 香川鑑定書控によると、己傷、壬傷の皮下に小豆大の出血が存在したこと、己傷に一致して右頸静脈の外膜下に点状の出血竈数個が存在したことが認められる。そうすると、己傷、壬傷には圧挫的作用が加わったものとみられ、前記のとおり位置的には拇指、中指が作用したとみ得る己傷、壬傷が圧挫的作用の痕跡とみられることは扼頸の可能性を考えるのにかなり重要な所見といえる。また右の出血竈も皮下出血を伴なった己傷に対応しているというのであるから、己傷に対するのと同一の外力性のものと考えることができる(石山、小片鑑定)。もっとも、小林、小片の両鑑定は己・壬傷が圧挫的なものであっても外傷の大きさに比し出血が小さいこと、己傷の幅が指頭が移動したものとしては狭い等から己・壬傷が扼痕とはみられない(或いは扼痕としては軽微である)としており、小林鑑定は右の点状出血竈を外力性のものでなく急死の所見である溢血点と同様のものとしている。

(三) 香川鑑定書控には、甲状腺の表面にやや著明なる小豆大ないし蚤刺様の出血点を有するとの記載がある。これは、わしづかみの形で頸部全体を上方あるいは後方に押さえると、筋肉のずれは余りなく、筋肉と甲状腺にずれを生じて甲状腺に出血すること、または右の形で庚傷に作用した外力が甲状腺に作用することが考えられる。もっとも、庚傷の位置は下すぎるし、右寄りであるからその外力は甲状腺には及ばないとの意見もある。

(四) 香川鑑定書控には、甲状軟骨は左側が右側に比して移動しやすく、舌骨体と右角との不全骨傷があるとの記載がある。甲状軟骨の移動しやすさについて香川鑑定書控では外表検査の項でも触れてあり、更に内景検査で右のように記されているのであるから、香川鑑定人は何らかの異常所見と感じたものと思われるが、その具体的内容は明らかでない。また不全骨傷の意味も不明確であり不完全骨折と考えるのが妥当であるが、骨折部に出血があったとの記載がないことから、生前の損傷であることに疑問を抱く意見(内藤、小林鑑定)、それを生じさせる外傷がないとの意見(小片鑑定)があり、他方、不完全骨折なら出血のないこともある、肉眼では見落す程度の出血しかないこともあるとの意見(石山鑑定)がある。但し、これらの所見は扼死に多くみられるとは言えても、必発の所見とは言えない。

3  頸部所見の総括

右のとおり、己、辛、壬、癸、伊の各傷は、位置的には右手拇指以下の各指が作用したとみ得るところ、己傷の位置が下すぎる、左右の間隔が狭すぎる、右指の各位置では気道を圧迫し得ない等として扼頸であることを否定する意見があるものの、位置、形状とも不規則な痕跡が多いと言われている扼死において頸部の右側に一個、左側に四個と位置的には典型的なものであるうえ、位置及び間隔は石山鑑定のいうわしづかみの形で説明できるし、またわしづかみにすると手掌面の一部が頸部を圧迫することは可能であり、己、壬傷は圧挫的作用を伴なった表皮剥脱であって、しかも壬傷はその形状から爪の痕とみられること、右手による扼頸を除くと右のような位置に各傷を生じさせる具体的方法は考え難く、全くの偶然ということになること(内藤鑑定は幼児の爪による掻き傷で可能というが、圧挫的所見に照らすと疑問があり、小林鑑定は飯櫃に落下しあるいは引き上げられる際の損傷というが、想定される状況から右各傷が生じ得るか大いに疑問である。)等を総合すると、各傷を扼頸によるものと認めても特に不合理な点はない。

また、頸部の内部所見についても、頸部の筋肉に出血がないこと、内部の出血が少ないこと等により強い扼圧があったとは認め難いとの意見もあるが、その方法あるいは被害者の状態の如何によっては常に右の出血等が重篤に存在するとは限らず(例えば松倉証言によると、同人の経験では扼死の中に皮下出血のないもの、筋肉出血のないものがあったことが認められ、また被害者が失神していた場合には出血が少なくてもいいとみられる。尚、フサノの失神については後述する。)、従って外表所見から扼頸が窺われ、程度は強くないにしてもそれに対応する内部所見も一応認められる本件において、右の出血等の所見から扼頸を否定することは相当でない。

4  窒息死の所見について

(一) 外部所見として前記のとおり(1)顔面のうっ血、チアノーゼ、(2)眼瞼・眼球結膜の溢血点、(3)死斑、(4)失禁、(5)舌尖の挺出、(6)嘔吐、吐物の吸引等が挙げられるところ、香川鑑定書控の記載で認められるのは、右(2)の内(眼瞼)結膜の穹窿部に無数の溢血点があること、(3)の死斑があること(但し、これには矛盾した記載もあるが、死斑は存在したとみるのが相当である。)である。(1)の顔面のうっ血が存在したとの記載がなく、(4)の失禁は尿の残量が多いことから尿失禁はなかったと推測され、糞は失禁と認められるか明らかでなく、(5)は舌尖が僅かに歯列に篏入しており、(6)は記載がない。

ここで重要所見とみられる(1)について検討するに、頸部を圧迫しても、深部の動脈までは作用せず血液は流入するのに、静脈が圧迫されて血液が心臓に戻れないため、絞死、扼死の場合には、顔面のうっ血は程度の差はあっても発生し、著明に発生することが多く、チアノーゼを呈し腫張すると言われており、特にフサノが頭部を飯櫃(または水桶)に突込んで下にした姿勢で発見されたことを考慮すると、顔面にチアノーゼのないことは扼死の所見に合致しないとの意見がある。もっとも、香川鑑定書控に直接の記載はないが、眼瞼結膜の溢血点は相当なうっ血があったことを示す(松倉鑑定)、香川鑑定書控には頸部皮下静脈が著しく怒張しているとあり検八号の写真でみると右頸部の外頸静脈が膨張しているから顔面にうっ血があったとみ得る(小片鑑定)との見解もある。そして、うっ血の機序に照らすと、気道への圧迫が効果的に行われ、静脈への作用が少ない場合には、うっ血が軽度のこともあり得ると考えられる。また、フサノの右外頸静脈には相当のうっ滞が認められるものの、他の静脈への圧迫が余りない場合には血液が他の静脈(例えば脳、断面の静脈を集めている内頸静脈)へ逃げて行くこともあるので高度のうっ血がないことも考えられる。扼死でうっ血の著明でない例、死後一日半の絞死体で顔面蒼白の例が報告されていることは前記のとおりである。

更に、死体を長時間、仰臥状態に置くと、死後の血液就下(沈降)により、著明なうっ血が消失するか否かは別にして、うっ血が減退することが認められるから、軽度のうっ血であれば、消失に近い程度にまで減退することも否定できないと思われる(ちなみに、弁三三号の内藤道興著捜査法医学には、窒息死でも頭の下に枕などがあって頭が高く保たれていると顔面のチアノーゼや溢血点が認められず、平坦な場所に移してしばらく経つと現われることがある旨の記述がある。)。そうすると、本件では、右外頸静脈の怒張からうっ血の存在を推認し得るところ、、二日くらい後に解剖されたものであり、死体発見時に頭が下の姿勢であっても、その後仰臥状態に置かれ血液就下があったと推認できるから、香川鑑定書控に顔面のうっ血の記載がないことから直に窒息死を否定することは相当でない。

(二) 内部所見として三大主徴といわれる(1)血液の暗赤色流動性、(2)漿膜・粘膜下の溢血点、(3)内臓諸臓器のうっ血があるところ、(1)は香川鑑定書控の記載から認められる。(2)は当然認められるべき肺の表面、腎孟粘膜などに記載がないとの指摘もあるが、腸管の漿膜面、心臓の冠状動脈の走行附近、咽頭上口粘膜等に溢血点が存在したと認められる。(3)は、色調から判断できるものを含め心臓、肺臓、腎臓に存在したと認められ、肝臓、膵臓についての記載はない。もっとも、うっ血は全ての臓器に認められるとは限らないし、膵臓は軟かくなって血液が血管から外にしみ出て解剖時に存在しないこともある(松倉証言)。

右のとおり、フサノには内部所見の三大主徴は認められる。唯、右所見は急死の所見でもあり、扼死ではこれらが著明に現われると言われており、本件の所見は扼死としては強くないとの意見があるものの、それでも窒息死である可能性は大きいと言える(弁一〇九号)。

5  ところで、石山鑑定は、うっ血、出血等の所見が弱いことは被害者の貧血あるいは扼頸直前の失神で説明できるとするので検討するに、貧血については香川鑑定書控にこれを推定するに足りる所見はない。請求人の供述、請求人作成の再審請求申立書写(弁五号)には、フサノは三次の歯医者に行って奥歯五本を抜き、気分が悪くなり薬風呂に一泊し、帰途気分が悪く下車して口和村の宮田方に一泊して昨日帰宅したが気分が悪いと言われる旨の部分があるが、これのみで直ちに病的な貧血を推認できるかは疑問である。次に失神であるが、その原因として(1)倒れて後頭部を打ち脳しんとうを起こす、(2)頸動脈反射が考えられるところ、(1)については香川鑑定書控に後頭部の外傷の記載がなく強打した痕跡がない。(2)の頸動脈反射は総頸動脈が内外の頸動脈に分岐する部分の左右いずれか一方を脊柱に向って指圧すると血圧下降及び徐脈を来たすというものである(石山、小片鑑定)ところ、検五六号(検八号の拡大写真)によると戊傷は香川鑑定書控にいう点状の擦過傷(表皮剥脱)とは言えず、長さも、僅かながら幅もあり、擦過的作用に留まらず下端部、後上半部には圧挫的作用を窺わせるものがあって、その位置及び性状に照らすとこれにより頸動脈反射を起こして失神することは十分に考えられるものである。

失神していれば扼頸によって容易に早く窒息状態となり、うっ血、出血の程度が弱いことがあり得る(石山鑑定、内藤証言)から、これでフサノの窒息所見が必ずしも顕著でないことを説明しても不合理とは言えない。

6  他の死因について

(一) 次に他の死因について考えてみる。本件においては、頸部及び窒息死の各所見が軽微であるとして扼死を否定する新証拠の内、小林鑑定は溺死とみるのが合理的であるとし、内藤・小片両鑑定は急性心臓死等の急死を推定している。

ところで、小林鑑定(弁一〇九号の鑑定書)は、本件は古い事件であるうえ、判決書と鑑定書写の他、関係資料が殆ど残存してなく、鑑定書の記載が不備不完全ということであれば、死因を再鑑定した法医学者に多様な推論が出て意見が分かれるのも当然であるとしながら、香川鑑定書控により窒息死の内景所見の三主要所見が一応認められるので、急死したことは勿論、急性窒息死した可能性が大きいと思われるとし、扼死と溺死にほぼしぼられるとしたうえ溺死とみるのが合理的であるとする。また、内藤・小片の病死説は溺死については主要な所見が欠けているとし、香川鑑定書控の不備から積極的に認定できないとしながら病変を推測して急性心臓死等が考えられるとするものである。

そこで、溺死説、病死説を順次検討する。

(二) 溺死について

本件では確定判決に記載された発見時の死体の状況に照らすと、溺死は疑ってみる必要のある死因であり、右状況が溺死説の根拠の一つであると考えられる。溺死(全身溺没を除く)の所見としては(1)新鮮な死体では鼻腔、口腔、気管内、気管支に微細泡沫を多量に含む液分が存在し(鼻口部に泡沫液が附着)、(2)肺内の溺水が胸腔内に浸出して貯留する、(3)肺は膨大し、辺縁が丸みを帯び、表面にびまん性の出血斑を生ずる(溺死肺)、(4)胃内に溺水とみられる稀薄混濁液と内容物との混在、(5)右各所の液体内に異物片が混在する(現在ではプランクトンの存在が重要所見とされているが、昭和三年当時には不明であった。)、(6)窒息の所見等が挙げられる(小林、石山、小片鑑定等)。

ところで、香川鑑定書控には、右に関連するものとして、(1)肺に関して、気管支の断端よりは泡沫を交えたる汚汁を出す、(2)鼻腔内、口腔前庭及び口腔内に異物なし、(3)胸腔内に異常の液体なし、(4)胃には約一〇〇〇グラム(ミリリットルの意)の米飯及び京菜の数片(咀嚼せるままのもの)と粘液様物とを容せりとの記載があり、(1)は溺死を窺わせ得る所見であるが、これは絞扼頸による窒息の随伴所見である肺浮腫によっても生ずるものであり(本件の各鑑定)、(2)、(3)は溺死の主要所見を否定するものである。(4)は、五七才の女性としては多量であるとも考えられ、胃の大きさも胃拡張を否定しきれないが、請求人の供述どおり昼食に雑炊を食べたとすれば胃内容が多量であることに関係しているともみられ、右の記載は内容物を容器に入れて計量したものの溺水の混在を認めなかったものと推測されるから、これを胃内に溺水が多量にあったとの根拠にすることは出来ない。また、溺死肺は灰白色(下側は少し赤色調)を呈する(小林証言)ところ、香川鑑定書控では肺は左右とも紫赤色を呈すとされていて合致しない。

そうすると、香川鑑定書控の所見からフサノが溺死したことを合理的に推認することはできず、ショック死に近い溺死もそれを窺わせる所見に乏しく僅かに可能性がある(小片鑑定)という程度であって、フサノの死因を溺死と推定することが合理的とは言い難い。

(三) 病死について

これを主張する内藤・小片両鑑定の要旨は、各鑑定の内容について記載したとおりであり、香川鑑定書控の不十分さ故に積極的に死因に結びつけられないとしつつも、心臓、肝臓、脾臓の異常を推測し、それによる急性心臓死等を考え、また外頸静脈の怒張から急性心機能障害の公算が大であるとするので、これらについて一応検討する。

香川鑑定書控に冠状動脈の性状等についての剖見所見のないことは不備と言えるが、特に心臓疾患を窺わせる所見の記載はない。次いで肝臓についてみるに、右各鑑定は、香川鑑定書控の、腹腔を開検するに……上方に褐紫黄色の肝臓を、その下に淡黄色の腸管を見る、横隔膜の高さが第四肋間に位する(一二項)旨の記載から肝臓の腫大を、またこれに関連して肝臓の色調から脂肪肝を推定できると主張するところ、確かに平均的体型では横隔膜の高さは第五肋間にあるとされているが、それは個人差もあり体型もさまざまである(小林証言)うえ、肝臓の腫大は見ればわかるものである(松倉証言)から、死を招来する程のものであれば容易に気づくと思われるのに、大きさ、性状常の如く特記すべき所見を認めずと記載されていること(香川鑑定書控一九項。ちなみに腹腔臓器の内、脾臓、腎臓、胃については大きさが記載されている。)、褐紫黄色との色調の黄色が必ずしも脂肪肝を意味するとは言えないこと(石山証言)に照らすと、大きさ、重さ、切開しての内部の性状について記載のないことは香川鑑定書の不備と言えても、肝臓に急死を招来する程の異常があったと推定することは困難である(尚、フサノが若いころ多量に飲酒していたとしてこれを肝臓異常の根拠の一つとする意見もあるが、根拠は十分でない。)。胃については、著しく太く(香川鑑定書控二二項)、内容量が五七才の女性としては多いと言わざるを得ないが、雑炊を食べたこと等に照らすと、それ程異常とまでは言い難い。そして、もともとフサノに心臓病があったとの明確な資料はなく(小片鑑定は上告趣意の記載を引用するが、証拠による認定ではない。)、胃の膨満による急性死は稀有な事例であるから、特に病変の窺えない本件においては、これによって急性死したと推定するのは合理的でない。また、フサノの死体写真によると右外頸静脈が相当怒張しているが、左外頸静脈にはそのような所見がないから、これをもって直ちに急性心機能障害を推定することも相当でない(右怒張は扼頸によるものとみることもできる。)。

右のとおり、もともと積極的な資料はなく、推測によるところが多く、その推測は必ずしも相当と言い難いから、病死を推定することは合理的でない。

7  死因の結論

以上の検討をふまえてフサノの死因をみるに、扼死と判断するには頸部に扼痕があること、窒息死の所見があること、他に死因が認められないことが原則として必要と解されるところ、(1)扼頸としては弱いとの意見もあるものの、頸部外表には位置的には右手指によるとみられ得る表皮剥脱があり、内部所見や写真から推測される性状から明らかに圧挫的作用を伴っている表皮剥脱もあって、まず扼頸を疑える状況であると言えるし、(2)程度として弱いとの意見もあるものの、窒息死の内景の三主要所見を備え、外部所見も認められる。そして、右の各所見において、典型的な所見を備えているとは限らず、軽微なもの或いは欠けているものもあるが、全てが必発の所見でないとか、軽微な点も説明が可能であり、事例として報告されているように、実際の死体においては学問的に考えられている程に扼頸及び窒息のそれぞれの所見が典型的に存在するものではないといえるから、死因を考えるには個々の所見からのみではなく、各所見を総合的に評価して判断するのが相当である。そうすると、右のフサノの各所見から、扼頸及び窒息死の所見中にやや弱いとみられる部分があったとしても、これらを総合して考慮すると扼死の可能性は相当に強いと認められるところ、その他の死因として考え得る病死については積極的な資料がなく推測によるところが多いし、溺死については発見時の状況から、その疑いが生じるものの、これを窺わせる資料が極めて弱いうえ、これらの死因では頸部の損傷を合理的に説明できず(更に香川鑑定書控によるとフサノの右肩胛骨部、右上膊・前膊部、右大腿・下腿部に損傷があって頸部の損傷と同様の性状を有していたというのであるから、これらは何らかの有形力の行使を窺わせるものとみられる。)、他の死因は考え難いことをも考慮すると、フサノの死因を扼死であると認めてもとくに不合理とはいえない。(なお、新証拠である小林鑑定が前記のとおりフサノの死因につき同人が急性窒息死した可能性が大きいと言い、ほぼ扼死と溺死にしぼられると結論していることは大いに注目に値すると思われ、本件資料から溺死説の採用し難いこと前記のとおりである以上、フサノの死因を扼死とみることは一そう合理的であるといえよう)。

九  明白性の結論

以上のとおり、香川鑑定書控、フサノの死体写真、新証拠である内藤・小林・小片各鑑定、三上・松倉・石山各鑑定等を検討した結果、香川鑑定書には幾らかの誤り、不備も窺えるが、フサノの死因を扼死であるとする香川鑑定書の結論については、新証拠によって合理的疑いが生じたとは認め難いから、右の新証拠は「無罪ヲ言渡スヘキ明確ナル証拠」であるとは認められない。

一〇  その他の新証拠について

弁護人は、その他の新証拠として、(一)弁護人藤堂真二作成の検証調書(弁一二、四二号)、検証のビデオテープ、(二)請求人作成の証拠人発見の理由と題する書面写(弁二八号)、(三)山本喜久太郎の遺言書等の写真一一葉(弁二一ないし二六号)、(四)久保摂二作成の精神鑑定書(弁四号)を提出し、それらの立証趣旨は第二の二に記載のとおりであるので検討する。

右(一)は、当時の請求人方の家屋は焼失したが、その構造、間取りからみて戸が開いていれば道路から炊事場が見通せるというのであるが、仮にその構造、間取りがそのとおりで、かつ本件犯行時に戸が開いていて(広島県北部の寒冷地の一一月下旬では、戸を開け放していたか疑問である。)道路から炊事場が見通せるとしても、確定判決の判示によれば本件犯行は突発的犯行と認められ、また常に人目につくわけでもないから、その故に本件犯行を否定する事情とは認め難く、

右(二)は、フサノの死亡時刻が昼過ぎ(昼食の直後)とされているところ、藤丸久四郎ほか二名(或いは四名)が同日午後二時半過ぎにフサノを見たとの話を藤丸らから聞いた旨の書面が実弟飯島一俊から来たこと、それを知った請求人の実父及び実兄が藤丸らに確認すると間違いないとのことであったと兄広美から聞いた旨の請求人作成の昭和四一年五月二日付書面であって、請求人が伝聞の事実を記載しているにすぎず、また添付されている飯島一俊作成の証明書は右藤丸らから右の話を聞いた旨のものであって、これによってその内容が真実であるか否かは明らかでないと言わざるを得ず、

右(三)は、山本喜久太郎の遺言とみられる書面、借用証三通、債権譲渡証書、預金通帳の写真であるが、これをもって喜久太郎の死亡後、請求人が資産を管理し借用証書等を保管していたと認めるには十分でない(確定判決の引用する請求人の原審及び控訴審における公判供述によるとフサノが貸金証書を保管していたことが認められる。)から、動機がないとして本件犯行を否定する事情とは言えず、

右(四)は、請求人の生活史において精神病、精神病質あるいは知的欠陥を示すものは見出せないとするものであるが、これによって請求人が五五年間にわたり無実を訴え続けているとしても本件犯行を否定し得る事情とは言えず、

いずれも無罪を言い渡すべき明らかな証拠とは認められない。

第五結論

本件は一審判決原本、控訴審及び上告審の各判決謄本のみしか存在しない事件についての再審請求であり、確定判決から推認される証拠構造における死因に関する香川鑑定書の重要性に着目し、それと同一内容と推測される製本保管されていた香川鑑定書控及び被害者の死体写真を裁判記録に替る資料として主張立証が行なわれたが、資料の不足、事件発生以来の長年月の経過、これらにも関係してか再鑑定の法医学者の意見が区々に分かれたこと等により香川鑑定書についての検討には困難な点があったことは否めないが、当裁判所は本件における資料に基く検討によっては弁護人提出の新証拠が、前記の明白性判断の解釈に従っても再審開始の事由である「無罪ヲ言渡スヘキ明確ナル証拠」(旧刑訴法四八五条六号)にあたるとは認め難いとの結論に達したものである。

よって、本件再審請求は理由がないから同法五〇五条一項に則りこれを棄却することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 村上保之助 裁判官 横山武男 裁判官 谷岡武敎)

<以下省略>

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